ロング・グッドバイ -2-



 翌朝、カイジが目を覚ますと和也は既に家にいなかった。二か月間、毎日顔を突き合わせて摂ってきた朝食を一人で摂ると、ふいに笑いがこみ上げてきた。拗ねたか、あいつ。ガキだなほんと。ガキだというだけならかわいいもんだが、併せてヤクザとくるとタチが悪すぎる。

マンションから出際、黒服に押し付けられた携帯をカイジは渋々受け取ると駅へと向かった。昨日は必要に迫られて駆け抜けた街を、今日はゆっくりと歩いて進む。乃木坂駅に降り立つと、迷わず柏行きへ乗り込んだ。行き先は、海浜幕張駅。短い脱走の間、唯一、見覚えがあるような気がした街だ。
一時間の乗り継ぎを経て、タクシーを拾い海岸沿いを目指す。窓越しに周囲に目を凝らすが、まるで見覚えの無い景色ばかりだ。どうしてこの街がこうも気になるのか分からなかったが、目的地にさえ辿り着けば、何がしか答えが出るかもしれない、その希望的観測に縋るしかなかった。
華やかな中心地から離れ、工業的な臭いのする景色に切り替わり始めた頃、電車の中で気になったあの建物の全容が見えてきた。「あのビルの手間で止めてくれ。」と言うと、「スターサイドホテルですか?フロントまでつけましょうか。」と返ってきた。「ホテル・・・?ビジネスホテルかなんか?」訊ねると、「いやいや、そういう感じじゃないですね、リゾートホテルの中でもかなりなモンですよ。・・・お客さん、ここでいいんですね?」
運転手の言葉に曖昧に頷き、支払いを済ませ恐る恐る下車した。近づいて見れば、縦にかち割られ二棟に分かれたような、独特な佇まいのホテルが圧倒的な迫力で建っていた。30階以上はあるだろう、ちょうど真ん中より屋上寄りの辺りの階に二つの棟を繋ぐ渡り廊下がかけられており、それなら何故わざわざツインタワーにしているのか、意義が分からない。もし渡り廊下が無かったら、左側のタワーの最上階から右隣の最上階に行くのにさぞ面倒なことだろう。

  随分妙な建て方をする・・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・?

もっと近寄ろうとして、全く足が動かなかった。足の甲から地面に杭を打たれたように、貼りついて動かない。おかしい、と思い足元を見ると、水滴がポタポタと垂れた。雨・・・・?そうではなかった、自分の涙だった。え、どうして、と思う暇も無く涙は次から次へと溢れ、糸が切れたように脚の力が抜けていった。
カイジが意識を保っていられたのはそこまでだった。






 気が付くと、カイジは自室のベッドの中にいた。ハッとなって身体を起こすと、いつかもそうであったように和也がいた。その時と違うのは、相手が苦い表情だという点だ。
「な・・・なに、どうして・・・・・・・。」
わけが分からずカイジはただ呆然と呟いた。
「・・・アンタ道端で気絶してたから、黒服に連れて帰ってこさせた。」
「気絶?俺が?」
和也はただ黙って頷いた。
「なんで俺の居場所が分かったんだ?」
「黒服から携帯渡されたろ。」
「ああ、あれ・・・・・・・・気絶してたって言ったな?喧嘩かなんかしたのか?俺。」
「シラネ。だから独りで出すのは反対だったんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「もう分かったろ?カイジさん、アンタは俺が傍にいないとダメなんだって。」
それは違う、言いかけてカイジは何がどう違うのか説明出来ない苦しさに押し潰されそうになった。
「・・・・・・・・うるせー・・・・あっち行け・・・・・・・・・・。」
和也に構っている暇など無かった。必死に記憶の糸を辿り寄せる。

海浜幕張駅に着いて、タクシーに乗った、海岸沿いを目指して、ホテルの前で降りた、ホテルの名前は、・・・・ホテルの名前はスターサイドホテル・・・・・・・・近づこうとして脚が動かなくなって、・・・ああ、そうだ、なんでだか涙が溢れて止まらなかったんだ。

そして、突如胸を突くような恐怖心が襲ってきたことが思い出されて震えた。

  なんだったんだアレ。・・・もしかして、ホテルが、怖い・・・?なんで・・・・・・・・。

思考に耽っていると、和也がいつの間にか隣に座っていた。両肩を掴まれると、そのまま押し倒される。
「あっち行けって・・・。」力無く押し返したが、「拒否権があると思うか?」の一言で黙した。

とんだ仕事だ。




 和也は約束通り縛りはしなかったが、相変わらず扱いは乱暴だった。本人にすれば優しいつもりなのだろうし、言って分かるならもう分かり合っていることだろう。それ以上に、嫌悪しつつも刺激されれば声も白濁も漏らしてしまう自分に吐き気がした。
和也の咽からくぐもった声が細く長く出ると、中で熱を散らされたカイジも耐えきれず逐情した。
横になったまま後ろから抱きかかえられると、和也はカイジの耳元に何度も何度もキスをした。そのくすぐったさと、尻から漏れ出る和也の名残と、腹に出してしまった自らの名残がこそばゆく身を捩ると、逃げられないよう一層強く抱きしめられた。
押しつけられた和也のソレはまだ萎えずにいた。若い頃は、俺もそうだったかな、とカイジは緊張感なく思った。
「もうあそこには行くなよ、カイジさん。」
カイジは答えない。答える気は無かった。
「それから俺、今日からこっちで寝る。」
和也がそう宣言すると、カイジは嫌だと即答した。和也はおかしそうにクゥクゥ笑うと、物を言う代わりに硬いまま萎えることのなかったソレを再びカイジに押し当てた。
「俺はカイジが気にいってんだ。分かる?」
間を開けず侵入してくる圧迫感に、明日腰が立つだろうかとカイジは心配しながら、歯を食いしばって受け入れた。
「なぁ、カイジ。もう一回、俺のこと好きになればいーじゃん。」
な?と嗤う。
その歪んだ笑みを振り返り眺めながら、改めて思う。

  これがコイビトだって?冗談じゃない。






 和也の言うことを聞く気など、カイジには毛頭無かった。
翌日、痛む腰をなだめながら再びスターサイドホテルへ向かった。また道端で倒れるのでは、という心配から少し離れた場所へ移動し、そこからホテルを見上げてみた。二つに分かれたビルは夏の爽やかな光を眩く反射し、荘厳な佇まいであった。ツインタワーの間の空間には中庭が、そして視線を上に向けると渡り廊下。二つのビルを繋ぐ道。道・・・・・・・途端に心臓の動悸が激しく暴れ始めた。ある程度の覚悟と心の準備が出来ていたカイジは、胸元を強く掴むとそれでもビルを見続けた。理由は分からないが、直視しなければならないような気がした。
そのうち目が霞み始める。次いで耳鳴りが始まった。呼吸が浅くなり動悸がますます酷くなる。指先が熱くなって痺れ出す。腹の底からこみ上げてくる波に半身を折るとそのまま膝が崩れ落ちた。態勢を立て直そうとして脚に力を込めた瞬間、フッと意識が遠のき、そしてまた失神した。

だがカイジは懲りもせず翌日も、また翌日も、和也にどれだけ手酷く抱かれようがソレを繰り返した。
毎日、とりつかれた様にマンションを出ては失神して帰ってくるカイジに、流石の和也もイラ立ちが隠しきれなくなっていた。カイジはほぼ一日中、外へ出ているのだ。携帯を鳴らしても出ない。少しは俺の傍にいろよ、もうやめろって。和也の言うことなど右から左だった。不機嫌なまま、それでも和也はカイジを抱く。カイジにしたら、何故和也がこうも自分に執着するのか全然分からない。自分は相当、勝手をしているハズだ。これは勘だが、俺は許容範囲を越えた振る舞いをしている、という自覚があった。こうも扱いに手を焼くようなら手放せばいい話だ。(もっとも、そうなったら無事では済まないのだろうが)だが和也はそういった素振りは見せてこない。思い通りに全てが動く人生の中で、唯一思い通りにならない事柄だと言っても良さそうなものなのだが、この状態で監禁しようとしないだけ、和也も多少は大人になったと言える。
そして相変わらず、その恋人・和也との生活にカイジは馴染めていなかった。腕を回されると身体の震えが一向に止まらない。唇を重ねられても逃げてしまう。繋がっても、早くイってくれとしか思えない。会話のチグハグさはもっと埋まりそうもない。
カイジはなんとなく分かっていた。
俺は、記憶を失う前、こいつに抱かれたことはない。恐らく、一度も。
それでも、回数を重ねる毎に自身の身体は和也に馴染んでいくのが手に取る様に分かった。
尻に何を入れられようが気持ち悪いだけだ。
この感覚を好む人間がいるという事実に到底理解が追いつかない。
にもかかわらず、和也が好むように身体は変化し続けている。

たまんねぇ。

この事実、かなり堪える。



**************



「なぁ、今日は俺学校も無いし仕事も無いから、どっか行こうぜ。」
日曜日の早朝、和也はカイジを叩き起こすとニィッと笑って言った。カイジは立たない足腰を理由に辞退したが、当然の様に無視された。
「どっかって、何処・・・・・・・。」
面倒臭そうにカイジが返すと、和也はひとしきり唸って言った。
「な、カイジさん実家どこ?」
「・・・・・・群馬だけど・・・・なに?何する気だ。」
「群馬かぁ・・・じゃ、水沢うどんだな。食いに行こうぜ。」
和也の提案はいつも突然だ。口を出すだけ時間の無駄なので、カイジは素直に従った。余計な体力の消耗は極力避けたい。

車中でも行為を求められるかも、とカイジは心配したが、和也はすぐに寝始めてしまった。意外と疲れているらしい。考えてみれば、日中は学生と経営者、夜は無茶なほどの性行為。しかも自分はフラフラ外に出ては失神して帰ってくるという迷惑千万な“コイビト“。気が休まる時間など無いだろう。もたれかかってきた和也の寝顔を見ると、年相応の子供だ。子供らしく生きていけないのは、さぞ苦しいことだろう。自分には別世界すぎておこがましいことかもしれないが、それだけは分かるような気がした。耳元には和也の規則正しい寝息が伝わってくる。起きている間もこのくらい穏やかな奴だったら良かったのに。
この数カ月の間、カイジは失った自分の記憶をずっと追い続けてきた。あのホテルがキーになることが分かっていながら、どうすることもできず闇雲に失神し続けてきたが、アプローチを変えてみるべきかもしれないと思った。
和也の髪を撫でてみる。小さく息が漏れた。少し微笑んでカイジに抱きついてくる。コイツ、起きてたのかと身構えたが、寝惚けているだけだった。身体を小さく畳み、まるで人形を抱いて寝る幼児だ。だがこの大きな子供を受け止めるだけの度量はカイジには無い。
珍しく車中の穏やかな時間を楽しんでいると、カイジの携帯がけたたましく鳴った。目覚まし機能を切るのを忘れていたのを思い出して慌てて音を消し、和也の様子を伺ったが、幸いむにゃむにゃ呻る程度で起き出す気配は無い。和也が起きると面倒が多いから、というよりかは今、和也の睡眠の邪魔をしたく無いような気がした。

ふと、握りしめた携帯を見てあることに気付いた。

  そういえば・・・・・・・・俺が初めて脱走した時、
  なんで俺が京葉線にいるってこいつら分かったんだろう・・・
  俺、携帯持ってなかったのに。
  実はずっと後を尾けてたとか・・・・?

釈然としないまま、車は環状線を過ぎ外環に入る。静けさと退屈から、いつしかカイジも誘われるように眠りに落ちていた。和也を、何か大切なものを大事に抱える様にして。







***********



 和也は事が済んで落ち着くと、必ず煙草を吸う。マイルドセブン・ワン。重たい銘柄なら副流煙だけでもそれなりに満足出来るが、これじゃ線香花火の煙以下だ。空気がちょっと濁るだけで香りも無ければ味も無い。そんなにニコチンが苦手なら、吸わなけりゃいいのにと思うが吸い始めの頃は自分も似たようなものだったなと思い至る。
「・・・な、和也。俺、どんな奴だった?」
喘ぎ疲れ少し掠れた声で、カイジが問う。シーツが汗と精液でドロドロになっていたが、あまりのダルさにそのまま身体を投げ出していた。
「は・・・・?何、なに急に。」
「いいじゃん。早く答えろよ。」
「どんな?どんなって・・・なにが。」
「だから、俺ってお前といる時、どんな奴だった?なにしてた?」
「カカカカカ・・・・!クク・・・・急に何、言い出すかと思ったら・・・・・ま、おいおい・・・・・話してやるよ。」
「おいおいって・・・・なんだよ、今言えない理由でもあんのかよ?」
「しつけーなぁ。後でって言ってんだろ。」
「思い出話しろって言ってるだけだろ?」
瞬間、あからさまに和也は機嫌が悪くなりだした。
「アンタ、少し黙ってなよ。」唇がふさがれた。カイジの口内にはまださきほど飲み下したばかりの和也の白濁が残っているはずだが、和也はあまり気にしないタイプらしい。舌をさしこむといいように蹂躙する。煙草を吸ったばかりの舌の割に、ニコチンの味は伝わってこなかった。どんだけ軽い煙草なんだよ。やっぱりこいつガキだな。カイジは身を捩る事さえ億劫でされるがままになって和也の気が済むのを待っていた。

「ぷはっ・・・・・・げほっ・・・・・・・・・なにイライラしてんだよ。な、もしかして、言わないんじゃなくて言えないんじゃないのか?」

カイジは冗談のつもりだった。

和也は人間関係の構築が酷く不器用な男だ。人の感情を汲んだり、動きから相手の思考を洞察するといった能力を著しく欠いていた。そういう要素が必要でない人生を歩んできたのだから当然だろう。そういう男に思い出を語れ、と言っても難しいのかもしれないと思って言ったのだ。
ところが、カイジの考えていた反応と和也が実際に返してきた反応は全く違っていた。

「言えない・・・・?言えない、だって・・・・・・・?」

目が完全にすわっていた。

「カカ・・・クク・・・・・・・クククククク・・・!なに言ってんのカイジさん・・・・・・さっきからさ・・・・あんたが・・・・・・・・・アンタが受け入れないからだろっ!?」
「え・・・・?」
カイジは突然激昂し始めた和也を呆け顔で見るしかない。

「俺が、どんだけ!どんだけ・・・・あんたを・・・・・・・・・!」

一度カイジの肩に爪が食い込むほど強く握みあげると、だがそこでスっと身体を離した。
黙したまま立ちあがると、ドアへと向かう。

「お、おい和也、どうしたんだよ。」
慌ててカイジも立ちあがり駆け寄る。
「おい、和也!」
腕を掴むと、ものすごい勢いで振り払われた。
「!」
さんざ無茶をされた身体は、バランスを崩すと脆かった。後ろへ逸れた重心を引き戻せないまま、受けた力をそのまま使ってカイジは倒れ込む。今度は和也が慌てる番だった。
なにしてんだよカイジ、とブツクサ文句を言いながらカイジの腕を掴んだ。
「ほら、さっさと立てよ・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「おい?カイジ?」
「・・・・・・・・・・・・・・な・・」
「あ?なに?早く立てって。」
「なんでお前がここに・・・・!?」
「・・・・・・・・・・・・・・!」
「和也!てめぇ・・・・!どのツラ下げて俺の前にいる!」
「カイジさん・・・・・・?」
カイジは目の前の人間が一糸纏わぬ姿であること、自身もそうであることを認識すると驚愕の表情になった。
「な・・・・・なんだよこれ!お前、俺になにした!」
「なにって、さっき・・・・・」
「ふざけ・・・ふざけんな!いつもいつもお前らは・・・・なんでもかんでも・・・・・!この畜生が!!!」
「おい、カイジ落ちつけよ!これじゃ話にならねぇ!」
「落ちつけ?どうやって落ちつけってんだよ!!!返せよ、俺の服・・・・・・・・・・・服だよ。どこだ。早く寄越せよ!くそったれが!」
「な、カイジ、その前に俺の話を聞けって!お前、覚えてないのか?」
「なにがだよ。なんだってんだ!」
「だから、その、ここ数か月、俺と、一緒にいたことを、だよ。」
「なんだ、それ・・・・・・・気色ワリィこと言うなよ。誰がお前なんかと。」


その時の和也の表情を、カイジは生涯忘れることはないだろう。
人がここまで痛ましい佇まいになった姿を、カイジは他に知らない。


「・・・・・・・・・・話せよ。最初から。」カイジは折れるしかなかった。







ベトベトになった身体をシーツで簡単に始末して、服を着込むと、二人は正面向き合った形になった。

「カイジさん、俺がカイジさんに会いに行ったことは覚えてるか。」
「なんとなく・・・・・・。」
「そん時、揉み合いになったろ。それで、カイジさん階段から落ちたんだよ。言っとくが俺が突き落したわけじゃないぜ。」
「・・・・・・そこは覚えてねぇな・・・・。」
「そんで、カイジさん、起きたら記憶失くしてた。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「カイジさんが記憶失くしてる間、俺たち、恋人だったよ。毎日、一緒にメシ食って、同じ布団で寝た。映画だって観に行ったし、旅行にも行った。カイジがしたいって言うことはなんでもした。
・・・・・・・・セックスもした。」
「・・・・・・・・・・・・!??」


 ぐっ・・・
 吐き気がした。
   ふざけ・・・
   なんで・・・・・・
 足がグラグラする。
    ひどい
           あんまりだ


「カイジさんは、ちゃんと俺と恋人同士で・・・・」
「黙れ!もうたくさんだ!」
「カイジっ・・・・・・・」
「俺の名前を呼ぶな!!!」

勢い立ちあがると、カイジはドアに向かった。
「何処行くんだよ。」
「あ?帰んだよ、家に。」
「もうないよ。」
「は・・・・・・・?」
「アパート、解約した。当然だろ。三月も空けてたんだから。」
三月・・・三カ月!?
咄嗟に遠藤のことを思い出した。
今頃自分を探しているに違いない、いや、それとも俺が自ら望んで・・・・・姿を消していると勘違いしたかもしれない。
バイトも辞めたばかりだし、俺が拉致されているだなんて誰も気づいてないんじゃないのか?
最悪のケースを想定して身体が震えた。
「くそったれ・・・・・・・・」
吐き捨てながらドアノブに力をこめる。だが、いくら回そうとしてもノブは回らなかった。
「おい、開けやがれ。おい!」
当然、内側に鍵は見当たらない。思う様ドアを叩くがなんのアクションも返ってこなかった。それでも構わず狂ったように当たり散らした。そうでもしなければ救われない気分だった。
「・・・・・・・・・・・逃げてもムダだよ、カイジさん。」
ゆらり、と立ちあがると和也は言った。
「あ?」
振り返り凄んだ。だが和也はその眼光に怯む様子も無い。
「・・・ICチップ、付けた。カイジさんに。何処にいても・・・・・・俺には分かる。アンタの居場所が。」
「・・・・・・っ!!!き、・・・・貴様・・・貴様、貴様、貴様・・・・・っ!!!」
思わず胸倉を掴んだ。
「てめぇ!人をどこまで馬鹿にすりゃ気が済むんだ!!!」
和也はただされるがままになっていた。
「俺は、カイジさんが分かってくれねーから、ただ分かってもらおうと思って・・・・・・・」
「ふざけやがって・・・・!」
カイジはとうとう堪え切れず大粒の涙を零した。後から後から、底が見当たらないほど溢れてくる。最後は、憎くてたまらない和也の胸に縋り付くようにして泣いた。その震える肩を、和也は抱こうとして、何度も、何度も躊躇って、とうとう出来ずに両手を降ろした。





部屋から出ていくカイジを、和也は見送らずうなだれたままそこにいた。もはやこれまで、と開け放たれた玄関をカイジは躊躇なく通り過ぎ、そのマンションを振り返ることも無かった。

ボックスタイプの公衆電話にふらつきながら転がり込むと、上着に残っていた小銭を取り出して遠藤の携帯を呼び出す。

  早く、早く出てくれ遠藤さん・・・・・・

受話器を持つ手の震えが止まらない。
それが解放された安堵感からなのか。遠藤に対する不安からなのか。
それとも・・・・・・・・・・

  遠藤さん、早く・・・・!

カイジは止まらない震えをいさめる為にもう片方の手で自分の肩を掴んだ。
再び涙が溢れてくる。
ぬぐうこともままならず、カイジは「和也」と小さく呟いた。








End.


[2010.8.14 up]

※記憶喪失が起き、記憶が戻った時、記憶喪失の間の出来事は何も覚えていないそうです。
まぁ、思い出す時もあるのでしょうが・・・?