後日談。


 視界の隅に、別珍で出来た緋色のマントを羽織るルフィが見える。

 俺が寝ている間に、船はいつの間にか着岸の体勢に入っていたらしい。数人のクルー達が小規模のジーベック船甲板を、右に左に動き回ると、凄まじい靴音が響いてとてもじゃないが寝続けられたもんじゃない。「ゾロさん!着岸ですよ!」クルーの誰かが邪魔だと言わんばかりにすり抜け様俺に言い放った。
 むっくりと起きて見上げてみれば、船首に足をかけてマントをはためかせる我らが船長は、出会った頃の様な少年らしい面影を微かに残すのみで、22ともなるとすっかり男臭い容姿になった。今や千を越える部下を持つ海賊王となったのだから、その自覚がルフィから幼さを奪い去ってしまったのかもしれない。
 フーシャ村出身の、左頬に傷を作った麦わらと言えば、今や知らない者はいないだろう。一筋縄ではいかなかったが、苛烈過酷を極めたグランドラインで、ルフィはその望み通り、海賊王の称号を得た。それがつい一年前のことだ。俺はと言えば、大剣豪になったつもりではいたものの、なんだかんだでミホークとの完全な決着はついていない。そして、何よりアイツの望んだ海はまだ見つかっていない。
 その為に、ルフィが再び船を出し、グランドラインへ入って2ヶ月になる。より機動力のあるジーベック船に乗り換えて一路その海を目指すが、クルーはキャプテン以下俺を含めて僅か10名。確かに部下“らしき”ものは何百、何千といるのだが、そのほとんどはルフィに一方的に惚れこんだボランティアの様なもので、それぞれがてんで勝手にその海を探す為に海原へ出ている。土台、ルフィは大規模な船を統率するだけのキャパシティを持ち合わせていないことは自身が誰よりもよく分かっているから、それぞれの船とたまに連絡を取り合い、情報交換をするくらいで、これといった指示を出したりはしない。歴史の中でも、稀に見る器の海賊王だろうと、俺は思っている。一時期、己の身の振り方を悪い頭なりに考えてはみたものの、コイツの右以外に俺の場所は毛ほども必要無いと思い知らされてからは、ルフィが望むだけ剣を振るうことにした。
 以前の様な奔放さは少し影を潜めたが、それでもやっぱりルフィはルフィだ。今も、お気に入りの船首でニシシ、と笑って、冒険だ冒険だと喚いている。
「野郎共!集合はナミの指示に従ってあとは好きに動け!解散!」
 とても号令とは思えない号令を下すと、ルフィは重苦しいマントを脱ぎ捨てて(そもそも、ナミに「少しは自覚を持て!」と諭されて嫌々マントを着ているのだ。)一目散に街中へとぴゅ〜っと消えていった。残りのクルーが、苦笑しながらその後を追う。船に修理箇所があるとかで、当面の船当番は大工に任せて、俺はタジオの買出しに付き合って街へ出ることにした。


 島は、その面積の割に人口千人弱程の、意外にも大きな街だった。大通りは賑わいを見せ、広いはずの道路が狭く感じるほどに、小さな屋台がこれでもかと立ち並び、商売に励んでいる。どうやら今日はナイトマーケットが開催されているらしい。貿易で栄えているらしいことは、店頭に並ぶ品の物珍しさからよく見て取れた。傍らのタジオは、物珍しい食材に出会う度に飛び上がって奇声を発している。今は“タジオ”だ。

 日も暮れかかり、街がクリアなオレンジ色に染まり始める頃になると、街の主な建築材料として用いられているこげ茶色のレンガが、夕日に照らされて真っ赤に色づき、目に痛いくらいの光を放ってくる。皆目を細め、足早に日陰を探して往来する中、同じく赤い光に目を細めながら向かいから歩いてくる一行があった。
 俺はその顔の一つに見覚えがあった。
 6年前、俺がルフィに従って海賊船に乗ることを許容した数日後に、海賊レストランで出会った奴だ。俺はミホークとの競り合いに忙しくてほとんど顔を見ちゃいなかったが、それでも目の下に深く刻まれた凶悪な隈は印象的だったから覚えている。気付いたのは向こうの方が早かった。

「あ!麦わらの海賊狩!」
「お前・・・ギンじゃねぇか!」

 お前生きてたのか!お前ンとこの頭もとうとう海賊王になりやがったか!盛り上がるまま俺はタジオとは一旦二手に別れ、酒場に直行し、再会を祝して酒盛りに雪崩れ込んだ。何でもあの後、ギンは生死を彷徨ったが、医者のお陰で九死に一生を得たらしい。そのくだりは俺の中で、素直な安堵よりも先に、不協和音を響かせた。なら何故くいなもアイツも助からなかったのだろうという、考えてもどうしようもない女々しい疼きが蘇る。頭を振り、何気無さを装ってクリークはどうした、と聞くと、部下に寝首をかかれて死んだと返ってきた。あの男らしい最後だとは思ったが、俺は口には出さなかった。ああも心無い扱いをされてはいても、やはり頭として付き従っていた何がしかの感情があるのだろう、諦めの混じった儚い風情があったからだ。それからはずっと、ギンはクリーク団の若頭として何度と無くグランドラインに挑み、ようやく入ることが出来た、と言う。今はこの海域で“ある物”を探しているから足止めを食らっている状態だが、いつか俺もすぐに追いついて見せますよ、とギンは息巻いた。ある物が何なのかと問うても、困ったように笑うだけで答えは無かった。

「ところで・・・サンジさんは、あれからどうしてます。オールブルーは、見つけられたんでしょう?」

 恐らくはギンが一番気になっていたことだろう。それは、顔面を紅潮させて、目もキラキラ輝かせている様子から十分に見て取れた。
 俺はかつて出会った人物から、この質問をされることを一番恐れていた。だが、尋ねてくる者に罪は無い。 罪は無いが、相変わらずでいることに微塵の疑いも持っていないこの様は、グランドラインでは罪に値しても良さそうなものだとは思う。

「・・・アイツは死んだよ。奇病でな、手を尽くしたが助からなかった」

 瞬間、ギンの顔がいかにも『驚愕』という顔つきになった。幾度と無く見てきた顔だ、だが、ギンの表情が今までで一番悲壮感に溢れていた。
「嘘だろう?」冗談を言うな、と半ば怒りを交えた調子で言われたので、「こんなのは冗談でも性質が悪過ぎるだろう」、と返したら黙ってしまった。
 横では、ギンの連れ合いが、俺達の会話などまるで聞こえていないらしく、他の客も巻き込んで馬鹿騒ぎをしている。
 ギンはグラスを握り締めたまま固まっていた。
「あのサンジさんが・・・なんで・・・」
 これ以上無い位目を見開き、ブツブツと呟いていた。その呟きはかつて俺が持った疑問のソレと酷似していた。

 俺はいたたまれなくなってグラスに何度も口をつけた。付けようとするのだけれども、グラスが震えてうまく口にビールが流れ込んでこない。

 その後ギンは、病状や、いついつどうした、という話をせがんだ。俺はそれに逐一答えることが義務であるかのように感じていたから、1から100まで記憶が正確な限り正直に答えようとしたのだけれども、口の筋肉が強張ってうまく話すことが出来なかった。

 ギンは最後に、勿体無い、信じられない、気の毒だという旨の内容を口にした。

 だが、最も気の毒なのは、稀代の海賊王の右腕を務め、大剣豪として身を立たせる信念を硬く持ちながら、6年経った今でも、アイツの話をしていると、いとも簡単に震えが止まらないこの体だと、俺は思った。






end...


[2005.9.11 up]