―後編―



 ぽさっ。

 ゾロが、咥えていたサンジを、ねぐらにしている洞の中にぽいっと放りました。途端に、サンジは「うぅ〜ん・・・。」と呻いて目をカシカシやりました。
 あれだけの距離を、首を咥えられて森中を駆け抜けたっていうのに、タイミングよく今起きるだなんて、コイツは分かってて寝たフリをしていたんじゃなかろうかと、ゾロは嫌でも疑いました。
「ん・・・あ・・・・・・ゾロ!あれ、なんで?俺・・・」
 サンジは目を覚ますなり、キョロキョロと辺りを窺って、それが明らかに見慣れた風景であることに、ガッカリしたような、嬉しいような、複雑な気持ちになりました。もうすっかり陽が昇っていて、綺麗に流れる雲の合間から、お日様は明るい日差しを放っています。ふたりの間に漂うぎこちない雰囲気とは間逆の、早朝の爽やかな風が時折吹き抜けます。
 サンジはなんだか恥ずかしくなってしまって、しばらくは俯いていましたが、やおらガバッと顔を上げると、精一杯大きな声で言いました。
「俺、謝らないからな!絶対、ゾロが悪いんだから!」
 言いながら、サンジは、胸の辺りがドキドキ、バクバク鳴って、息が苦しくなってしまいました。
「・・・じゃあ、お前は、俺がどうすれば満足するんだ?」
「どうって・・・」
 思ってもいない返しに、サンジは返答に困ってしまいました。
「・・・・・・もうちょっと、こう・・・あるでしょ!?言い方とか、やり方とか!接し方とか!」
「お前に指図されるいわれは無い。大体、俺の邪魔はするなと言ったはずだ」
「指図じゃないったら!ゾロが、ちょっと考え直してくれたら、もっと楽になれるって言ってるの!」
「フン、ガキが、知った風な口をきくな」
「ガキとか、大人だとか、関係ない!ゾロだって、本当は辛いんでしょ!?それなのに、強がって、平気なフリして!!」
「お前には関係無い!これ以上干渉するな!」
 サンジどころか、周囲にいた動物達でさえビックリするような大声で、ゾロは咆えました。ゾロが、こんなに感情を露にするのは、初めてのような気がします。
 サンジは、それが悲しくって、悲しくって、知らないうちに目に涙がいっぱいいっぱいこみ上げてきてしまいました。
「・・・ゾロにだって、大切な・・・守りたいものくらい、あるでしょ?」
「下らん」
 やっぱり、ゾロの返しはサンジの胸に突き刺さるようなものばかりでした。涙が零れそうになるのを堪えるから、いつも大きな目が、より大きくなりました。
「じゃあ・・・どうして、俺を連れ戻したの?関係ないって言うなら、放っておけばよかったじゃないか。それで、干渉するな、なんてさ・・・。そんなの・・・卑怯だよ・・・」
 サンジの目から、とうとう大粒の涙が零れ落ちました。ぽた、ぽた、と音を立てて、あっという間に地面へと吸い込まれ、大きな黒いシミを作りました。その涙は、ゾロの心にも、黒いシミとして侵食していくようでした。

「俺、喰われてもいいって、思ってるくらい・・・ゾロが・・・・・・ゾロのことが、好きなのに・・・」

 掠れた声で、言いました。
 痛々しくって、思わず耳を塞ぎたくなる様な声音でした。

 当のゾロは・・・あらぬ方向を見つめていました。その横顔は、サンジが今まで見たこともないくらい、生気の感じられないものでした。
「・・・前にも話したことがあったな。俺にもかつて故郷があった。竹林と岩しかないような、辺鄙なトコロだ」
 突然、ゾロは語り出しました。
「その竹林にいた頃には、仲間がいた。くいなという名の雌虎だ。女のくせに俺より雄々しくて、逞しいやつだった。俺はそれが悔しくって必死に特訓した。それでも俺は全然アイツに敵わなかった」
 ここでゾロが少し息を止めたのが、サンジにもはっきり分かりました。ゾロは、躊躇う様に口をモグモグさせると、やがて意を決したように続けました。
「くいなは・・・強い虎だった。強かったのに、怪我をして岩崖に取り残された仲間を助けようとして・・・仲間諸共、崖から落ちた。俺は・・・側にいたのに、見ていることしか出来なかった。
怪我をした仲間は、くいなが庇ったから、それでも助かった。なのに、くいなは岩に当たって・・・血がたくさん流れた。俺は駆け寄って傷口を舐めた。必死に舐めた。でも、血は止まらなかった」
 どこかの鳥が、場違いに、ちゅん、と軽やかな声を響かせました。その後に、サンジの咽が、ゴクっと鳴りました。
「アイツは、そのままずっと動かなかった。いくら話しかけても、応えなかった。水を飲ませようと思って首を咥えたら・・・軽かった。あの雄々しいくいなだとは思えないくらい、軽かった。冷たかった。それで俺はようやく思い知った。
 ・・・くいなは、とっくに死んでるってことを。
 くいなは俺の憧れだった。悔しいが、俺に無いものを全て持っている虎だった。そのくいなが死んだのが、俺は許せなかった。だから・・・俺はくいなを喰った。くいなを喰っていいのは俺だけだと思っていたから、喰った。・・・今も、くいなは、俺の腹の中にいる」
 サンジは、思わず息を止めてしまいました。涙は、もうとっくに引っ込んでしまって、右目が、これ以上にないくらい、大きく見開かれました。
「あいつを喰ったとき、俺はあいつより強くなると誓った。
 ・・・そのすぐ後だ、グランドラインの噂を聞いたのは。俺には何も失うものなんか無かったから、故郷を飛び出すのになんの躊躇いも無かった。
 ・・・それから、俺は、ずっと独りで生きてきた」

 “グランドライン”・・・。“強き者の住処”・・・。

「・・・もしかして、ゾロも、その虎のために、オールブルーを探してるの?」
 その問いに、ゾロはフッと口元を歪ませ、またすぐ無表情になりました。
「・・・喋りすぎたな。俺は、もう寝る」
 ゾロは、洞の奥へ進むと、それきり、糸が切れたように眠りこけてしまいました。
 サンジは、その様子を呆然と見つめていました。

 きっと、その雌虎とゾロは、番になる気だったんだ。
 大切なモノを失ってしまう悲しさを想像するだけで、サンジは眩暈がしそうでした。
 自分だって、ジジィや、仲間たちが死んでしまったら・・・。
 一体、どうなってしまうんだろう?

 そして、今や見ることの出来ないそのくいなを想像して、何故だか胸が苦しくなってきてしまいました。


 次の日からも、ふたりは何事もなかったかのようなフリをして、特訓に励む毎日を送っていました。あの大騒動は何だったのかと問いたいくらい、穏やかに時間は過ぎていきます。
 サンジは、次第にベソをかかなくなってきました。成長期も相まってか、少しだけ体も大きくなってきたような気がします。ですが、ちっとも、ゾロのように逞しくは、なれません。雄々しくも、なれません。
 虎のように強くなるには、キツネではハードルが高過ぎました。それでも、ゾロはサンジを見放そうとはしませんでした。キツイ檄を飛ばすのはしょっちゅうでしたが、いつも真剣に相手をしました。
 それは、サンジを認めている、何よりの証でした。だから、サンジは、頑張れました。

 ですが、サンジには、一つ気がかりなことがありました。ゾロが、ここのところしょっちゅう、傷をたくさんこさえて帰ってくるようになったのです。何処にも怪我は無いのに、血まみれで帰ってくることもありました。あっちこっちに付いた何がしかの血で琥珀色の毛もガチガチに固まってしまって、だからいつも洞は血の匂いでむせ返っていて、それはサンジの頭がクラクラするくらいでした。そのくせ、ろくに傷の手当てもしようとしないものだから、膿むこともしばしばでした。
 その上、「目が完全に治るまで一人で遠出をするな」とまで言い出します。それも、きつーく言いつけられました。
 何か、とても必死な感じがしました。サンジは、その深部に触れてはならないような気がして、聞けませんでした。ただ、「じゃあ、ゾロが迷って帰ってこられないときは、どうすればいいの?」と問うた時、「もう覚えたから問題無い」と言われたときは、本当に天地がひっくり返るかと思うくらいビックリしました。そして、本当にその通り、夕焼けが森を焦がす頃になると、キッチリと帰ってくるのです。

 ・・・血まみれになったまま。

 何か、とても、とても嫌な感じがしました。
 でも、サンジは何故か言葉が出てきません。
 問うて、キチンとした答えが返ってくることも稀なのですが。
 あれ以来、確かに穏やかに毎日が過ぎているのだけれども、それはとても『作りモノ』の匂いのする毎日で、ちょっと息が詰まるようです。でも、どうしたらいいのか分かりません。
 ふたりでいるのが当たり前だったのに・・・今は、それが重たくのしかかってきます。

 だから、良く晴れた、ある日の午後のこと。傷口と毛を洗う為に、水浴びをしよう、というのを口実に、まだ陽の高いうちにサンジは無理やりゾロを水場まで引っ張っていきました。
 昼間の水場へふたりしてやってくるのは、これが初めてでした。そういえば、ふたりしてお出かけするのも、随分と久しぶりのような気がします。
 途中の小道には、たくさんの花が咲き乱れていました。ビオラやれんげやタンポポやスイセンの花が、今を盛りとばかりに花開かせています。サンジは新しいお花を見つける度、はしゃいでいましたが、ゾロは心底興味が無いという顔つきで、何度も何度もあくびを繰り返していました。
 そして、ようやく水場に辿り着くと、虎にビックリした先客のサギが、一斉にばささっと羽ばたきました。もう、こんなことはしょっちゅうで、悲しいけれども、慣れっこになっていました。

 誰もいなくなった湖は、最早ふたりの貸し切りです。
 サンジは、浅瀬に入って、水をチロチロ飲みました。ゾロも、並んで、水をガブガブ飲みました。水は透き通っていて、時折、小さなお魚さんが気持ち良さそうに目の前を泳いでいきました。湖面はお日様の光を反射して、遠くまでキラキラと輝いています。
「ねぇ、ゾロ、ちょっと水浴びしてて。俺、腹が減ったから、木の実を採ってくるよ」
「・・・・・・あんまり、遠くへは行くなよ」
 全く、このところ言うことは、度が過ぎるくらいに、過保護です。
 サンジは、「分かった、分かった」と面倒くさそうに生返事をして、トトトッと茂みの中に入っていきました。

「ふぅ」

 茂みに入り、ゾロの姿が完全に見えなくなると、サンジは思わず溜息を漏らしました。
 自分から水場に行こうと言い出したのに、やっぱり、どこか気まずい雰囲気に気持ちが挫けそうになってしまいます。暗くて、湿った洞がいけないのだと思ってお日様の下に出てきたというのに、これでは何も変わりません。

 でも、どうしたらいいんだろう・・・。こんなとき、こんなときジジィだったらどうするだろう・・・。

 それで、ふと、ゼフのことを思い出しました。
 今頃、ゼフ達のいるノースブルーは、冬真っ盛りの頃でしょう。幼馴染のカティとパルネに、ゼフのことはよぉ〜く頼み込んで出てきたから、何も心配することは無いと思うのだけれども、やっぱり心配になってしまいます。でも、肝心のゼフには、何も言わずに飛び出して来てしまったから、きっと今頃、カンカンに怒っているだろうな、と思うと、サンジはますます滅入ってしまいました。

 言えば、止められると思ったから、どうしても言えませんでした。
 カティとパルネでさえ、最後の最後まで、反対していたものです。

 その反対を押し切って、ノースブルーの森を出て、左目をハイエナに喰われ、今は虎と厳しい特訓に明け暮れ、挙句喧嘩をして、こうやって“何か”から逃げ回っているのです。

 どうしてるかな・・・。
 みんな元気にしてるかな・・・。

 ぼうっとしながら小道をフラフラ歩いている時、ふいに空から、イガイガした木の実がポコンと頭の上に落ちてきました。

「いたっ!」

 サンジは頭を抱えると、涙目で当たった辺りをサワサワさすりました。上を見上げると、猿が、蔦の絡まった木の枝の上にいました。落ちてきた木の実を拾って、「これ、君の?落としたよ?」と恨み半分の声音でサンジは聞きました。ところが、その猿は黙って次々に枝から木の実をもいでは、サンジ目掛けて投げつけてきました。
「いたっ、痛いよ!なにするのさ!」
「裏切り者」
「・・・え?」
「森を荒らす裏切り者め!あの虎の手引きをしているのは、お前だろう!」
「ち・・・違うよ、そんなんじゃない、誤解だよ!」

「何が違うもんか!」
「出て行け!」

 もう一匹、別の小さな猿が、違う大木の枝から顔を出しました。そして、やはり、同じようにイガイガした実を投げつけてきました。
「お父さんを返せ!」
 その猿は、泣きながら、投げつけてきました。サンジは、避けるので精一杯で、とても返事をする余裕がありません。

 違うよ、お願いだ、俺の話を聞いてくれよ。
 でも、言葉になりません。声が、出てきません。

「ルフィの兄貴には手を出すなって言われたが、もう我慢ならねぇっ!早くこの森から出て行けっ!」
「・・・・・・え?」

 ルフィ、その言葉に、サンジの動きが止まりました。
 ルフィ?ルフィが、どうして出てくるの?

「ちょっと!アンタ達やめなさいよ!言いがかりよ!それが森の掟でしょう!?」
 突然、空から色鮮やかな極楽鳥が、両者の間に割って入ってきました。果たして、姿を現したのは、立派な飾り羽を沢山付けた、蜜柑色のナミでした。
「なんだよ、ナミ姉さん、コイツの味方をするのか!?コイツにかまってるのだって、ルフィの兄貴に頼まれてるからってだけだろう!?」
 猿は、次々に、衝撃的な言葉を発しました。
 ルフィに頼まれたから?何を?どうして?
「やめなさいったら!ルフィ、怒るわよ!」
 その途端、猿たちは動きを止め、口を噤み、黙ってしまいました。
「ナミさん・・・どういうこと・・・?」
 サンジの声は震えていました。信じたくありませんでした。
 どうして?なにが、どうなっているの?
 友達だと、思っていたのに。俺は、哀れまれていただけだったの?それとも邪魔者だったの?
「ちが・・・サンジくん、これは違うのよ、確かに、最初はルフィに頼まれて・・・」
「俺のこと・・・本当は、キライだったの?」
「何言ってやがる!お前らのせいで、ハイエナまで来やがった!お前らはこの森にいちゃ駄目なんだよ!」
 再び、猿が怒声を上げました。
 その時でした。

 茂みを割って、琥珀色の毛が躍り出ました。不思議なことに、縞模様は緑色をしています。瞳も、緑色をしています。
 そして、とても恐ろしい形相をしていました。

「ゾロ!」

サンジが名を呼んだ途端、ゾロは牙を剥き、猿たちに向かって、ガウゥゥゥッ!!と咆えました。辺りに、一斉に悲鳴が上がりました。
「やめて、ゾロ!そんなことしたら・・・!」
 サンジが制しようとしましたが、ゾロの威嚇は止まりません。一度起こったパニックは、収まることを知りませんでした。
「ごめんなさいっ!!」
 サンジはそう叫ぶと、無我夢中で走り出しました。

 俺が、ワガママを言ったせいなの?
 俺が、グランドラインへ行きたいなんて言うから。オールブルーを見つけたいなんて言うから。
 狐のクセに、虎みたいに強くなりたいだなんて言ったから。

 ゾロを・・・。

 ゾロを、好きになってしまったから・・・。

 そのうちに、気付くと、頬が濡れていました。
 心が、痛くて、痛くて、痛くて、胸の奥から、溢れ出て来た涙でした。






 洞の前まで辿り着くと、サンジはワッと声を出して泣き喚き始めました。
 心が、痛くて、痛くて、痛くて。痛くて、どうしようもなくて、声を上げて泣きました。
 その後すぐ、ゾロは少し息を上げてやってきました。サンジはゾロに縋り付くと、また余計に声を大きくして、わんわん泣きました。
 ゾロは、悲しそうな顔をしていました。サンジの瞳から次々に溢れ出して来る涙を黙って舐めてやると、舌がほんのりしょっぱくなりました。それでも、サンジは、ちっとも泣き止みそうな気配はありません。俺が悪いんだと、しきりに口にしています。
 だから、落ち着くまで、ゾロはじっと黙って涙を舐め続けました。

「ぅ・・・ひっく・・・・・・ぞろ・・・いま、すぐ、・・・ぐらん、ど、らいん・・・いこうよ・・・」
 しゃくりを上げながら、サンジは言いました。
「おれ・・・がんばった、もん・・・・・・ぇぐ・・・・・・・・・だから、もう、いけるもん・・・ひっく・・・」
 ゾロは、黙ってサンジの手を振り切ると、洞の奥へと入っていきました。そして、サンジが食料を溜め込むために敷き詰めた藁の辺りをゴソゴソやると、何かを咥えて再びサンジの元へと戻って行きました。

「・・・・・・・・・?」

 サンジの前に、コロンッと放り出されたのは、少し歪な球の形をした小石です。
 それは緑色のような、青いような、不思議な色をしていて、土色のひびがところどころに入ったターコイズでした。
「これ、お前の左目みたいな色だと思って・・・拾ってきた」
 それは、サンジの失った左目が、右目の茶色とは違って、空の様な青だと知って、取ってきてくれたものでした。サンジは、びっくりして、石に恐る恐る手を伸ばしました。ちょうど、目の玉くらいの大きさをしています。
「・・・・・・・・・おれに?」
 サンジがそう聞くと、ゾロはコクリと頷きました。
「あ・・・・・・ほら、青だけじゃ、なくて、ゾロの、緑も・・・混じってる。・・・おれと、ゾロが、・・・混ざった、みたい、だね」
 サンジが、しゃくりを上げながらも、やっと小さく笑顔を見せました。
 ゾロは、「馬鹿」と言い、笑おうとするのだけれど、どうしてもうまくいかなくて、とても不細工な顔になってしまいました。
「サンジ・・・明日朝一番で、この森を出よう。だから、今日は、もう寝ろ」
 ゾロがそう優しく言うと、サンジはコクリと頷いて、石を咥えて洞の中に入ると、石を抱いてまたしばらく泣いて、そのうちに泣き疲れて眠ってしまいました。
 ゾロは、その様子を、すぐ横でじっと見つめていました。泣きはらして真っ赤になった目の辺りが、時折ぴくぴくと動きます。こんな目を見るのは、二度目だななどと自嘲的な笑みが浮かびました。

 所詮、誰かと共にいることなど、この俺には許されないことなんだ。

 完全にサンジが眠りについたことを確認すると、ゾロは、静かに立ち上がり、出口へと歩を進めました。そして、何度も、何度も振り返って、サンジの姿を確認します。

 確かに、サンジは、少しは強くなりました。足も速くなったし、たくさん走っても息が切れないようになりました。でも、やはりそれは、「キツネにしては」のレベルなのです。
 いくら頑張っても、厳しさに耐えられるようになっても、越えられないハードルは確かにあるのです。
 噂に聞く、グランドラインの厳しい土地柄では、サンジはきっと耐えられないでしょう。でも、言っても聞かないのは目に見えています。
 そして、自分が側にいることで、サンジに何時も辛い思いばかりさせているのです。
だから、ゾロは、そっと側を離れることにしました。

 最後に、もう一度振り返ると、暗くなり始めた森の中を、独り静かに疾走して行きました。






 イーストブルーの森中を、満月が明るく照らしていました。
 ゾロは、北も、南も、西も、分からぬまま、ひたすら洞から遠ざかる為に森を駆け抜けました。
時折、ゾロに驚いた動物たちが、悲鳴を上げて逃げて行きましたが、かまうことはありません。駆けて、駆けて、駆けて、とにかく、遠くへと駆けていきました。

 そうして、どれほどの時間が経ったのでしょう。
 息が切れて、足が悲鳴を上げ始めた頃、小高い丘へといつの間にか辿り着いたゾロは、どっとその巨躯を横たえました。息が、ハァハァ切れて苦しいです。
 右も左も無いまま走ってきたから、ここがどこかは分かりません。ただ一つハッキリしているのは、もう二度と、サンジと過ごしたあの洞へと戻ることは出来ないだろうということでした。

 琥珀色の体を、金色に輝く月が柔らかく照らし出しました。
 その金色が、サンジを思い出させて、ゾロは目を閉じました。

「よう。いい身分だなぁ、月見をしながらご就寝たぁ」

 突然、どこからか声が聞こえてきました。
 それは、酷く焼けた声で、まるで研ぎ澄まされた刃物のような恐ろしい声でした。ゾロが、ガバッと起き上がると、どうして気付かなかったのかというくらいの、驚くべき光景が広がっていました。

 1、2、3、・・・9、10、まだいます、14、15、・・・20・・・。

 30は超えるかというほどの、ハイエナの大群でした。

「テメェか、ウワサの虎は。俺のナワバリを、シタリ顔で随分荒らしてくれたらしいなぁ」
 その中の、一際大きな体をしたハイエナが、一歩前に歩み出て言いました。どうやら、さっきの声の持ち主と、同じハイエナのようでした。
「・・・・・・なんだ、テメェらは」
 ゾロは、憮然とした様子で返しました。
 どう見ても、状況は不利です。あっという間に、辺りを囲まれてしまい、しかも、ハイエナ達は、ジリジリと詰め寄ってきています。
「テメーが散々荒らしやがったのは、このドン・クリーク様のショバなんだよ」
 横にいる、腰巾着のような男が言いました。
「知るか」
 ゾロは簡潔に答えました。確かに、ハイエナを狩る目的で、サンジに内緒で毎日毎日慣れない森に出て行っていたのは事実です。
 でも、毎日毎日ハイエナ達を狩りに森へ出ていたのは、ルフィに頼まれていた“ハイエナを駆逐する”為ではなく、もちろんショバを荒らす為でも無く、サンジの目を喰ったハイエナを探しているだけだったのですから、ゾロにしたら覚えの無い言いがかりでした。
「てめぇ、とぼける気か!!」
 また、別のハイエナが怒鳴りました。それをドン・クリークは制すると、嫌な笑みを浮かべて言いました。
「ところで・・・お前ンとこのキツネは、旨そうだな・・・何のつもりで、連れて歩いてンだ?」
「非常食だ。だが、もう連れじゃない」
 ゾロがそう言うと、ドン・クリークはガハハ、と豪快に笑いました。
「そうかそうか。あの子狐が、そんなに大切か。・・・そうこなくっちゃなぁ。
 じゃあ、お前の前で、そいつを食っちまおう。お前の悔しがる顔が、見たいからなぁ。
 それからゆっくり殺してやるよ」
 それが合図だったのかのように、ハイエナたちが一斉にゾロへと飛び掛っていきました。
「雑魚が、イキがるんじゃねぇ!!」
 ゾロは、一咆えすると、ハイエナの大群に立ち向かって行きました。
 金色に輝いていた月は、何時の間にかたなびく雲に隠れ、その色をぼんやりとしか見せなくなっていました。


 ゾロがクリークと対峙している時とほぼ同じ時刻、洞では、サンジが目を覚ましました。
 ハッとして辺りを窺うのだけれども、流石に暗くて何も見えません。ゾロ、と名を呼んでみても、洞の中に響くのは自分の声ばかりで、その後は耳に痛い静寂が残るだけでした。

 どうしたんだろう、こんな夜更けにどこかへ行くなんて。

 ちょっとだけ、洞から顔を出してみました。目を凝らしても、耳を澄ましてみても、見えるのは薄ぼんやりとした月に照らされる暗い森で、聞こえてくるのはフクロウや虫やカエル達の声ばかりでした。
 今まで、ゾロが、夜、洞をあけたことなど一度もありませんでした。大抵出るのは昼間で、それでも必ず夜には戻ってきました。例え戻ってこられなくても、以前はサンジが鳴いて水場で待っていたのですから。

 それなのに、今、ゾロはサンジの側にはいません。
 いつも、惰眠ばかりを貪っていた虎の姿はどこにもありません。

 小さな声で、「ゾロ」と外に向かって鳴いてみました。それでも、何にも変わりません。相変わらず、フクロウがほうほうと鳴くばかりです。

 おかしいなぁ、何か、明日出る用意でもしているのかな。

 方向音痴のゾロが何かの用意だなんて、とても心配でした。近頃はちゃんと自分だけの力で帰ってこられるようになっていましたが、また、戻ってこられなくなるのではと心配で心配でたまりません。
 サンジは、うんうん唸って迷い、随分長い間考えましたが、思い切って水場へと行く事にしました。だって、空はもう、漆黒から濃紺へと移り変わり始めて、夜が明けようとしています。約束の時間が、どんどんと迫っているのです。

 遠出はするなって言われたけど、水場くらいだったら、遠いとは言えないと思うし。きっと、また、どこかで迷ってるんだ。

 サンジは、意を決すると、ほんの少しだけ明るさを帯びた森をひとり走っていきました。


 その頃・・・ゾロとハイエナの戦いは、まだ続いていました。あちこちに、ハイエナが倒れ、辺り一面に血の赤と、匂いが充満していました。そして、ゾロも、ひどく傷つき、たくさんの血を流していました。
「お〜い、いい加減、テメェんトコのキツネの居場所を教えろよぉ」
 ちょっと離れたところで、ドン・クリークが楽しげに声を投げました。ゾロはひたすら無視していました。足が少しもつれたところで、新たなハイエナが飛び掛ってその鋭い爪をゾロめがけて振り下ろしました。バリっと皮膚の裂ける鈍い音がして、新たな鮮血がばっと視界を染めました。

 ちくしょう、血が足りねぇ・・・。

 クリークは、途端に、心底面白くないという顔つきをしました。
「おいおい・・・お前、何をそんなに必死になってやがるんだ?
 虎が、狐を。馬鹿馬鹿しい。
 お前みたいな無法者が、あんなのをチョロつかせてるからこうなるンだよ。
 全く、お前みたいな腑抜け虎に、俺のショバを荒らされるとはな・・・」


 ―――違う。


 ゾロは、薄れゆく意識の中で思いました。

 違う、府抜けたんじゃない。

 俺は、アイツがいて、弱くなったんじゃない。

 俺は、サンジと会って、初めて守るべき何かがある者の強さを知った。

「おい、お前ら!先に行って、キツネを連れて来い!待ってらんねぇぜ!」

 俺は、サンジと会って、初めて温もりを知った。
 その温もりの、何より大きいことを知った。


「は、ははは・・・」

 ゾロは、突然笑い出しました。

「アイツは、お前らの腹に入れるにゃ勿体ねぇよ。

 アイツを喰っていいのは、オレだけだ。

 薄汚ねぇハイエナ共が。そんなに腹が減ってるんなら、その辺のネズミでも喰ってやがれ」

 途端、クリークの額に、青筋が浮かび上がりました。


 誰が、渡すものか。
 誰が、喰わせるものか。

 サンジは、やらん。
 誰にも、やらん。


 お前に、サンジは、



 ―――死んでも、やらん。


「ふん・・・・・・ふふふ、そうか。
 ひゃはははははは!いいこと教えてやるよ!実はなぁ、お前のねぐらの見当は大体ついてるんだよ!もうギンが着く頃のはずだ!ギンってのはなぁ、俺の次に強ぇやつだ!テメェがいくら頑張ったところで、もうお仕舞いなんだよ!腑抜け虎が、後悔しやがれ!!」

 そして、クリークは、残酷な事実をゾロに突きつけました。
 ゾロは・・・眩暈がするようでした。


 サンジは、水場で鳴いて、鳴き続けて、とうとう夜が明けてしまいました。失意のうちに洞へと戻ると、やはりゾロの姿はどこにもありません。
 わずかに抱いていた期待が、粉々に打ち砕かれました。こんなにこの洞は広かったっけ、というくらい、とてもガランとしています。

「ゾロ」

 呼んでみても、やはり返事などありません。静寂が、耳へと突き刺さるだけでした。そうして、ようやくサンジは思い知りました。

 ―――俺は、ゾロに、捨てられたんだ・・・。

 枯れたと思っていた涙が、再びじんわりとこみ上げてきました。
 ふらふらと寝床に戻ると、あの、ゾロがくれた不思議な色の石が転がっていました。それが目に入った途端、サンジの目から大粒の涙が零れ落ちました。凍えてしまった心から、絞り出されるような涙が、次から次へと、溢れて来ます。
 そうして、石を見ていると、ゾロの不思議な緑色が蘇ってきました。ゾロとの楽しく、厳しく、辛い思い出が蘇ってきます。冷たい涙が絶え間なく零れ落ち、青緑の石を濡らしました。

 ゾロ、ゾロ、ゾロ、一体何処へ行っちゃったの?
 ひどいよ、何も言わずに出て行くなんて。
 せめて、ワケくらい聞かせてよ。
 俺、探しに行っちゃうんだから。
 ゾロのことなんか、色んな人に聞けば、一発で分かっちゃうんだから。

 でも、傷が治らないうちは、一緒でないときは、絶対にここから遠くへ出てはいけないと言われていました。
 サンジはちょっとだけ、躊躇いました。

 でも、ゾロ・・・俺、強くなったよ。
 ゾロと一緒に、頑張ったモン。強くなったモン。
 黙って出て行くなんて、絶対に、許さないんだからな。
 ・・・・・・だから、俺は、お前を探しに行くよ。

 サンジは、ゴシゴシと涙を拭くと、びっくりする位の早さで泣くのを止め、溜め込んでいた食料を一気に平らげると、張り切って洞の外へと出て行きました。
 ナミのこと、ルフィのこと・・・気になることはいっぱいあるけれど、今はゾロのことが一番気がかりです。
 ゾロのことだから、まずこの洞から遠く離れることにしたに違いない。それで、どこか真っ直ぐひたすら走って行ったに違いない。サンジは、鼻をフンフンさせ、僅かに残っているゾロの残り香を探しました。
「うぅ〜ん・・・コッチ、かな?」
 見当をつけ、走り出そうとした、その時でした。
「お前かぁ、あの虎といるって狐は・・・」
 後ろから、とても、嫌な感じの声が聞こえてきました。振り返ると・・・そこには、なんといつか見たハイエナが、数匹固まってこちらを凝視していました。
 そして、その中に、サンジは見覚えのある顔を見つけました。
「・・・あ!お前・・・!!」
 あの時の、ハイエナ・・・!
「あぁ?・・・あ、お前!あん時の狐じゃねーか!」
 そうです、サンジの左目を喰らったハイエナが、今、目の前にいるのです。
「どうしたんです?ギンさん。まさか、知り合いですか?」
「あ?あぁ・・・ま、そんなモンかなぁ?な?狐ちゃん」
 ギン、と呼ばれたハイエナは、爽やかな朝の空とは対照的な、とてもとても嫌な哂い方をしました。
 途端に、サンジの体から血の気が失せて行きました。あのときの恐怖が、みるみるうちに全身を襲いました。良くなり始めたはずの左目が、ズキズキとひどく痛みます。
「あ〜そんなに怯えるなって。安心しろ、今すぐは殺しゃしねーからよ・・・ちょっと、付いてきてくれりゃいい話だからよ・・・」

 ジリ、とギンがにじり寄ります。
 ズサ、とサンジが後ずさりしました。

 そして、一斉にハイエナ達が飛び掛ってきました。サンジは、間一髪それを避けると、全力で森の中へと駆け出しました。
「追えっ!絶対に見失うんじゃねーぞ!!」
 サンジは必死に逃げました。とてもじゃないけれど、立ち向かって、敵う相手ではありません。途中、恐怖で、何度も足がもつれました。蔦や草につまづいて、転びました。それでも、泥だらけになっても、したたか体を打ち付けても、サンジは走りました。だって、止まったら、それは即、死に直結するということです。
 どこまでも、どこまででも走らなければなりません。
でも、ハイエナたちは、それが分かっていて、わざとスピードを緩めて追ってきているようでした。サンジが疲れるのを待つ算段なのは明らかでした。

 恐怖で歯がカタカタ鳴りました。
 今までに感じたことがないくらい、恐くて、恐くて、気を失ってしまいそうでした。息がうまく出来なくて、景色がボンヤリし始めて、そのせいでしょうか、今度こそひどく転倒してしまいました。勢い余ってでんぐり返しを数回繰り返し、木に頭をぶつけてから起き上がる頃には、周りはハイエナがズラリと並び、サンジを完全に包囲していました。

「さて・・・鬼ごっこは終わりだ」

 ジリ、とギンが歩み寄りました。
 サンジは・・・最早、足が動きませんでした。


 こんなのいやだ。

 こんなのいやだよ、ゾロ。

 俺、お前に会いたいよ。

 こんなところで、くたばりたくなんかないよ。

 こんなところでくたばったら、ジジィに何て言われるか分からないじゃんか。

 だめだよ、こんなのいやだよ。


 ゾロ・・・。


 ねぇ、いやだよ、ぞろ・・・。


 許されなくたって、俺のワガママだって、・・・なんだっていいんだ。


 一緒にいたいよ・・・。


 ぞろ・・・・・・。



 ・・・・・・・・・どこにいるの・・・?



「これで仕舞いだ!!」
 ギンが咆哮した、その時でした。
「これでも食らえっ!!」
 一斉に、ギン目掛けて、四方八方から石が投げつけられました。
「ハイエナ共が、調子に乗るな!」
 それは・・・猿や、狸や、リスや、イタチや・・・たくさん、たくさんの動物達でした。枝の上から、石やら木の実やら枝やら、投げつけられるものは、ハイエナ目掛けて何でも投げつけていました。
「な・・・なんだ、テメェら!!」
 ハイエナ達は戸惑いました。どこに避けて行こうとも、あっちこっちから何かが降ってきます。
「ちくしょう、ふざけやがって!」
 ハイエナ達は威嚇しましたが、動物達の数は増える一方で、もう収拾がつかないくらいあっちこっちに物が飛び交って、危うくサンジにも当たりそうなくらいです。
 そのうち、ギンの目に、あの、いつかサンジが投げつけられたイガイガした実が当たり、もんどり打って悶絶すると、呻きながらあたふたと逃げていきました。
 それと同時に、枝に乗っかっていた動物達も、一斉に遠くへと避難して行きました。
「サンジくん!大丈夫!?」
 ハイエナ達の姿が完全に無くなったところで、ナミが蜜柑色の羽を広げてサンジの元へと降り立ちました。サンジは呆然として、へたり込んでいました。
「もう大丈夫、大丈夫だからね・・・。よく頑張ったね・・・」
「・・・・・・ゾロが・・・いなく、なっちゃったの・・・」
 サンジは、どうにかそれだけを口にしました。
「うん、ごめん、ごめんね、サンジくん・・・。アタシ、サンジくんのこと、いっぱい傷つけちゃったね・・・」
 ナミは泣いていました。立派な羽を広げて、フワリとサンジを包み込みます。
 後から遅れて、紅蓮色のルフィが茂みから出てきました。
「おい、サンジ、お前の馬鹿虎、いま連れてきてやるからな!ちょっと待ってろよ!ナミ、サンジを頼んだぞ!」
 ルフィは息を弾ませて、それだけ言うと、慌しく茂みの奥へと消えていきました。サンジは、相変わらず黙り込み、ジッと足元を見つめていました。ナミは、サンジを抱きしめたまま言いました。
「顔も見たく無かっただろうけど、どうか聞いて。あのね、最初、サンジくんに話しかけたのは、ルフィに頼まれたからなの。これは確かに、そうなの。虎が、ハイエナを呼んでるとか、その虎を狐が呼び寄せてるんだとか、森はいろんな噂で溢れかえっていて、もう収拾がつかなかったの。だから、ルフィは、ボスとして、まずサンジくんたちがどういうつもりでこの森に来たのか聞きたかったのよ」
 サンジは、ボス、という言葉にビックリしてしまいました。ノースブルー、イーストブルー、サウスブルー、ウェストブルーにはそれぞれの森を統括するボスが存在するらしい、とは小耳に挟んではいましたが、それは、「噂」の範疇のことだとばかり思っていたからです。とてもじゃないけど、この森は恐ろしく広くて、たかだか1匹の動物に、統治できるような範囲だとはとてもとても思えません。かつて住んでいたノースブルーでだって、ただの一度も、『ボス』に出会ったことなどありませんでした。
「それでね、直接ルフィがサンジくんに会う前に、アタシが・・・言葉は悪いけど・・・探りを入れたっていうことなのよ。あの時、友達を紹介するからまたおいでって言ったのは、定期的にあの水場に来て欲しかったからなの。
 そして、ルフィには、サンジくんから聞いたままを話したわ。そうしたら、やっぱり、俺も会うって言い出して・・・その前に、実はずっと貴方達のことを監視していたんだけど・・・だけど、ルフィ、サンジくんに会って、言葉を交わして、『大丈夫だ』って言ったの。『あいつらは大丈夫だ』って」
 ここで、初めてサンジが顔を上げました。
 微かな希望に、再び火が灯った様な気がしました。
「それからも、あの水場で何度も会ったわね。あれは、本心だったのよ。貴方達の目的は分かったから、もう近づく理由なんて本当は無かったけれど、だけど、それでもアタシとルフィはサンジくんに会いたかったの。だから、あの水場へ何度も足を運んだの。本当に、本当なの。だから、キライなんてこと、ないんだから、ね?」
 サンジは、激しく首を横に振りました。
「だって・・・俺が、たくさんワガママを言ったから、いけなかったんだよ?・・・俺が、虎みたいに強くなりたい、グランドラインへ行きたいだなんて生意気言ったから・・・」
「そんな風に、思わないで。いいことなのよ。頑張ることは、いいことなの。でも、虎と、狐の組み合わせは、目立ちすぎるの。危険すぎるの。だから、アタシ、心配で心配で・・・。今朝だって、明け方まで鳴き続けてたって聞いて、様子を見にきたら、こんなことになってて・・・アタシ、心臓が飛び出るくらい心配したんだからね!昨日、あの後ね、ルフィが森のみんなを説得して、もう一度考え直してもらったの。そりゃ、納得出来ないって連中もいたけど、やっぱり、一番の悪はハイエナだもの。だから、こうやってみんな、協力してくれたの。流石に、実物に会ったら恐くなっちゃって、さっきはみんなすぐに逃げて行っちゃったけどね」
 ここで悪戯っぽく笑うと、ナミはサンジの目を見て言いました。
「大丈夫よ、サンジくん。神様は、ちゃんと貴方のことを見ている。頑張る子を、見てるんだからね」
 サンジは、小さな笑顔を見せましたが、直後にフッと意識を失ってしまいました。
 ナミは、慌ててもう一度羽で抱きとめると、あちこちに付いた泥を払ってやりました。










―――ゾロ・・・どこにいるの?










***



 再び、森に夜がやってきました。
 雲一つ無い空に浮かぶまん丸な月が、森の木々を明るく照らし出します。サンジは、夢現のように夢と現実を行きつ戻りつし、重たくなった体をグッタリと横たわらせていました。
 後ろ足を痛めたらしく、足首から全身にかけて、鈍い痛みが体中をまとわりついています。
ご飯をたくさん食べた後に全力疾走したものだから、胃の中の物も全部吐き出してしまいました。
 意識があるような、無いような、フワフワとした感覚が体を包み込んでいて、気持ちがいいような、悪いような感じがします。

 その時、耳元で鳥の羽ばたく音が聞こえて・・・。
 それで、やっと重い瞼が持ち上がったと思ったら・・・。
 そうしたら・・・。

 目の前に、いつかのように、虎が、いました。
 琥珀色の毛並みに、緑の縞模様を持ち、立派で、雄々しく、逞しい虎が。
 その時と違うのは、血まみれになり、足を引きずり、荒く息を吐き、毛並をボロボロに汚している点でした。

「サンジ・・・立てるか?」

 信じられませんでした。
 きっと、夢の続きだと思いました。

「ゾロ・・・本当に、ゾロなの?」

 サンジが存在を確かめるように聞きました。虎は黙って、サンジの頬をペロリと舐めました。

 ゾロでした。確かに、今、目の前にいるのはゾロでした。
 嬉しくって、信じられなくって、なんだか腹立たしくって、恥ずかしくって、そしてまた泣き出しそうになってしまいました。でも、不思議と、柔らかな気持ちになるだけで、涙はちっとも出てはきませんでした。

「こんなに怪我して・・・馬鹿だな、サンジ、だから一人で遠くへ出るなと言っただろう」

 そういうゾロの方が、よっぽどひどい怪我を負っていました。今四本足で大地に立っているのが不思議なくらいの、大怪我をしていました。

「ゾロ、酷い傷・・・どうしたの?」
「お前こそ、酷い傷だ」
「ゾロに比べたら、こんなのなんてことないよ。・・・ねぇ、どうしてここに俺がいるって分かったの?」
「・・・・・・あの、赤毛の猿が呼びに来たんだよ。今さっきまで、あのやかましい鳥もここにいた」
 それで、さっきの羽音は、ナミさんだったのかと、ようやくサンジは気付きました。
「そっか・・・ルフィ、本当に、探しに行ってくれたんだね・・・」
「お前の目を喰ったハイエナ共は、今度こそ残らず全部谷底に叩き落としてきてやった」
「えっ・・・」
「だから、もう、心配するな」
 サンジは、絶句してしまいました。
 でも、その一言で、どうしてゾロがこんなにボロボロになってしまって、自分もハイエナに襲われたのか、そして、ゾロがここのところ何に必死になっていたのか、やっと分かって、ずっと胸の奥でモヤモヤしていたことの、答えを貰ったような気がしました。
「ありがとう、でも、たくさん怪我させちゃった・・・ごめんなさい、俺、ゾロの足を引っ張ってばかりだね・・・」
「・・・・・・もう死ぬかもしれないと思ったとき・・・お前に良く似た黄色い花が、目の前にイッパイ咲いていた。
 俺は、それを見たとき、まだ死ねないと思った」
 ゾロは、一昼夜かけた壮絶な戦いを回想するように、目を細め、遠くを見ました。
 黄色い花、それは、水仙の花でした。サンジのように、小さく、愛らしく、風に撫でられて揺れていました。それが、ゾロの目には、サンジが笑いかけているように映ったのです。
「サンジ、俺は、今度はお前に生かされたんだ。俺は孤独であることを寂しいと思ったことはない。不幸なことだと思ったことも無い。でもお前は、お前だけは失いたくなかった」
 サンジは、へへっと照れ笑いをしました。ゾロも、居心地悪くて、またすぐにいつもの仏頂面へと戻っていってしまいました。


帰ろう、洞へ。

ふたりで過ごした、あの洞へ・・・。


 ゾロが、うまく立てないサンジをひょいと口に咥えると、ゆっくり、ゆっくりと、今を生きていることを確かめるかのように大地を踏みしめ、少しずつ歩を進めていきました。
 途中、ゾロは何度も足がもつれて倒れこみそうになりましたが、サンジは、サンジだけは、決して離そうとはしませんでした。

 そうして、どうにかこうにか洞へと戻ると、ゾロとサンジは、傷を舐めあってその体を横たえました。しばらくは、どちらもハァハァと荒い息を繰り返していましたが、ふいに、ゾロが、サンジに「あの石はどうした」と聞きました。「ここにあるよ」とサンジがやっと歩いて咥え、持って来ると、ゾロはそれを咥え直して、サンジの左目にグイ、と押し付けました。
 すると、不思議なことが起きました。まるであつらえたかのように、石が左目にピタリと嵌まったのです。
「あぁ、やっぱりだ。・・・サンジ、もし本当にオールブルーなんてものが見つかったら、その石を、本物の目に変えよう。俺は、お前の空色の瞳が、見てみたいんだ」
 ゾロは言うと、石の嵌まった左目を、ぺロッと舐め上げました。サンジはくすぐったくって、小さく身を捩りました。
「ねぇ、ゾロ・・・・・・本当は、どうして、俺を拾ったの?」
 それは、サンジがずっと心に抱いていた疑問でした。

「・・・・・・・・・いい加減、独りには、飽き飽きしていたからな」
「・・・ふふ、やっと、言ってくれたね」

 とても静かな夜でした。
 寄り添うと、ふんわりと暖かくて、心もふんわりと暖かくなりました。ふたりの浅い呼吸と、流れ続ける血の匂いだけが、洞の中で静かに溶けて行きました。






 季節は巡り・・・イーストブルーにも、陽射しの厳しい初夏がやってきました。
 春、あちこちで芽吹いた草たちが、今を盛りとその背を伸ばし、強烈な草いきれの匂いを放っています。湿気が体中に張り付くような熱気に、あちこちで茹だった動物たちがだらしなくその四肢を投げ出していました。
 そうして、あのいつもの水場には、蜜柑色の極楽鳥と、赤毛の猿の姿がありました。
「サンジくんも、ゾロも・・・今頃、どうしてるのかしらね」
 ゾロとサンジがねぐらにしていた洞は、長雨で土砂が崩れ、もうすっかり塞がれてしまっていました。だから、もう、誰も、中に入って、洞の中がどうなっているのか確認することは出来ません。
「アタシ、そろそろノースブルーへ行くわね。ちょっと、ここに長居しすぎたみたい。こんなに陽射しがキツイんじゃ、繊細な羽が燃えちゃうわ」
 ナミが大げさに言いました。
「俺、グランドラインへ行こうかな」
 ルフィは、あっけらかんとして言いました。
「何言ってんの?」
 ナミが、心底呆れたという顔で返しました。
「俺、この森でボスやってんの、もぅ〜飽きた!」
 ルフィは、ん〜〜〜っと背伸びをすると、ピョンっと大きく飛び跳ねました。
「そうね、アンタは、ここでじっとしていられる性分じゃないわね」
 ナミは一転、いいんじゃない、と軽い口調で賛同すると、蜜柑色の羽を広げ、ばさり、と空へと羽ばたきました。
 そうして、二つの影は離れていき、再び同じ水場に現れることはありませんでした。



 もう、あの洞に、虎と狐の姿はどこにも見当たりません。

 ただ、洞から2万マイルも離れたサバンナ、「グランドライン」で、緑色の毛並みが混じった虎と、金色の子狐の組み合わせと言う、奇妙な後姿が、度々目撃されたそうです。




おしまい。


 [2005.3.2 up]

参考楽曲:BUMP OF CHICKEN 「タンデライオン」
Happy Birthday SANJI!! & I love you…