『 魔法のラムネ玉 』

01.エクスタシー(MDMA)――
 俗にバツ、ペケ、エックス、タマ等と言われ、昨今急激に人気の高まっているドラッグ。100%ケミカルの合成麻薬で、外観はタブレット状のピルが一般的であり、色も様々。
エクスタシーにおいて特筆すべきは、素晴らしい多幸感を得られることである。また、音や光との相性が非常に良く、現在のクラブやレイヴシーンはこれ無しに語れない。しかしドラッグとしての歴史が浅いため、ブレインダメージを含め今後どのような後遺症が発生するか予測不能である。








――ゴン、ガガン
――ゴ、ゴ、ががん

 さっきから向かいの軒下で一斗缶が跳ねる様な音がする。

 破壊的な陽射しをやり過ごすためにブラインドを下ろしてはいるが、生憎空調機なんて粋なモノが無いから、仕方なく開け放った窓は外の音を容赦なく拾っては内に寄越す。

 路地裏でスピーカーが割れるくれー爆音でトランス垂れ流してる奴、わざわざ昼間っから貧乏臭ぇレイブすんな、クラブ行って踊って来い。早く死ね。
 下の部屋じゃビッチが「oh,yes! yes!!! oh,come on!!」とかやってる。疑う余地も無く欠陥住宅なので壁も床も薄過ぎて下の音は驚くくらい上に上がってくる。確か下は新聞配達で生計を立ててるとか言ってた大学生だ。早朝から新聞配達してまで昼間っからビッチとファックか。オメデてぇな。
 ・・・羨ましいっての。
 早くそいつのキンタマ蹴り上げて俺の相手して下さい、ビッチ。
 ここから200mも離れていない基地じゃ、戦争がおっぱじまったみたいに猛烈な戦闘機のエンジン音が喚いている。音が弾丸になって腹を、腰を打ち付ける。釣られて内臓が震えてギリリと軋む。爆音で響くエキゾストノートはさながら世界の終焉を告げる最期の審判、この島国はアメ公の領土です。ミサイルが糞詰まって堕ちちまえ。

 それにしても一番気になるのはゴン、ガガン、だ。あんまり耳障りで気になったからソファーからダルイ首を持ち上げてブラインドの隙間に指を入れてヌッと見下ろしてみる。
 さっきから聞こえるゴン、ガガガンは一斗缶じゃ無かった。
 ガリガリのぼろきれみたいな皮膚に青黒い血管を浮かせた痴呆の婆ァが、シミーズにナイトキャップだけ被った姿で裏返したタライをすりこ木棒で叩いている。口がまぐまぐしているからよくよく聞いたら念仏を唱えてやがる。目がマヂだ。
 ・・・・・・。
 見なかったことにした。

 屋内の、それも二階にいるのに屋外にいるような喧しさだ。環境としては死ぬほど暑くて死ねる。汗が止まらなくて頭が痛い。堪える為に手をやると、ガッチガチに脱色した金髪が脂で固まってボソボソと音を立てた。心臓がてんでデタラメに跳ねて呼吸が酷く浅い。指先が戦慄く様にブルブルと震えた。目の奥でサンジ、サンジ、サンジ、と自分の名を呼ぶ声が聞こえる。きっと小さい人がいるんだ、目の奥の辺りに。だが誰の声だかとんと思い出せない。


 俺はこの劣悪な小部屋の中で引き千切れそうな体をどうにか制御してひたすら“魔法のラムネ玉”を待っている。
 小さい頃駄菓子屋で一番好きだったラムネ玉。
 よく水に溶かしてソーダ水にした。全然ソーダ水にはならないし味も薄まって美味しくは無いが、その気の抜け切った甘ったるい風味が好きだった。あんまり熱心に飲みすぎて親から叱られた。すぐに顎がジンジンいうようになった。そら虫歯になった、と言われしばらく買ってもらえなかった。その時、大人になったらうんと買って食ってやると心に決めた。

 あれから15年、俺は大人になったから、ソーダ水にもならないラムネ玉じゃなくて、ホンモノの、本当の、魔法のラムネ玉が喰える様になっていた。











「あら、サンジくん!久しぶりね」
 燃える様なオレンジ色の髪を後ろで一つに束ねた女が、慣れた愛想笑いを浮かべて、物乞いみたいな風情で所在無く突っ立っていたサンジを引っ張って奥のカウンター席に迎え入れた。
 サンジが数ヶ月前まで行きつけだったハコ・・・このクラブ、フライング・ダッチマンはしばらく来ないうちに米軍に占領されていたようだ。硝煙臭い軍人ばかりがひしめいて筋肉の祭典の様相を呈している。どうりで入り口にやたらビッチが多かったわけだ、とサンジはひとりごちした。オマケに薄暗い照明の中、黒人の目と手ばかりが浮き出てふわふわ浮かぶ様は、目が慣れないうちはギョッとさせるものがあった。
「あんまり顔見せないから、オーバードーズで死んだかと思ってたわ」
「ナミさんの顔を見てからじゃなきゃ、死んでも死に切れません」
 口を開くのも大儀だ、というようなサンジの生気の無い返しにからから笑いながらナミ、と呼ばれた女はオーダーも取らずにブルドッグを用意し始める。それも、ほとんどがウオッカの飛びっ切り強いやつである。
「でもあながち間違いでも無いみたいね、サンジくん、自分の顔鏡で見てから来た?死相出てるわよ」
 サンジは力無く笑った。さっきまで死ねるほど暑い部屋の中で強烈な鬱に打ちのめされながらキチガイ染みた騒音に浸されていたのだ。死相も出る。そのまま部屋にいたら、I CAN FLY!!!!!!!! BELIEVE MY BEST!!!!!!!!ベランダからダイブしそうになったから下の喘ぎ声がダダ漏れの戸を蹴破ってビッチからネタを手に入れたのだが、これが種だらけな上にパッサパサの碌でも無い雑巾の絞りかすみたいなグッズグズのガンジャで、ところが新聞配達員は「うん、この煙がですね、いいわけですね、うん、ゴホ、でもゴホ、咽越しが、こうジーンって、ゴホ、ゴホゴホ、しかしあれですね、この瞬間が僕達の意識をゴホ、拡大してくれるのですから政府の大麻政策は、あぁ効いてきた、全く時代から逆行していますよゴホゴホ」あぁ効いてきた、じゃねぇ〜〜〜よ。知った風な顔でステレオタイプの大麻論をかましはじめたもんだから横にいたビッチの頬を一発張って「客を嘗めた商売してんじゃねぇ!」と一喝してやった。ビッチの正体はピンコロにありがちなドロドロの厚化粧をしたニューハーフだった。
「なんでもいいんでネタ探しに来たんです。プッシャー、来てるでしょ?」
 クズとはいえそのガンジャのお陰でどうにか鬱がプラスに転じてやっと外に出られるようになったサンジの第一声である。悲劇的、と言えば悲劇的だ。
「来てるわよー、アンタの大好きな、飛びっきりの上ネタ持ってる奴が」
 ナミが顎をしゃくって見せた先には万札を数枚指先に挟んで不敵に笑う男の姿があった。この男のことはナミもサンジも良く知っている。体を知っている、と言った方が早いかもしれない。右肩から左腰まで刀傷をこしらえた物騒な男だが、その傷が陰茎のすぐ側まで伸びているとい うことを知っているのは今この場では恐らくこの二人だけだ。
「ゾロ!!てめぇ何処行ってたんだよ!!」
 言うが早いか、サンジは堰切って駆け寄った。ゾロ、と呼ばれた男は必死の形相を晒すサンジの姿を見て目を白黒させている。緑色に染まった髪も無精髭も伸び放題で、ビシッと着こなしたパラノイアの開襟シャツと釣り合いが全く取れていない。しかしそれが逆にプッシャーとしての格を上げて見せるのだから不思議だ。
「サンジか?・・・また、随分小汚くなって・・・」
「早く出せよ。今すぐ」
 サンジは青白い掌をイッパイに拡げてゾロの前に突きつけた。ゾロは苦笑しながら右手で懐をまさぐる。手品のように、真っ赤に染まった『魔法のラムネ玉』が出てきた。それを照明にかざし、一度恭しく左の掌に乗せた。サンジはそれを魅入られたように食い入って見つめた。涎が今にも滴りそうだった。その、サンジの無精髭に汚れた顎を掴み、口を開けさせると赤く充血しきった舌が突き出された。まるで神の宝物を授けるようにゾロは丁寧に舌に下ろしていく。そのままラムネ玉は吸い込まれるようにサンジの口中へと消えていった。












「んん〜〜〜♪ふふん、ふ〜〜ん、、、う〜〜〜ん♪」
 サンジはチュッパチャップスを嘗めながら上機嫌で例の小部屋に帰宅した。隣にはそんなサンジを見ても表情を一つも変えないゾロがいる。サンジは今や世界が美しく見えて仕方が無いのだろう、帰って来る間中、時にネオンを見ては突然号泣し「世界が輝きに満ちてるっ!生きてるって素晴らしいよそうだろゾロっ!!!」とのたまい、時に愛についての持論を延々滔々語り、ゾロはそれらに対し「うん」、とか「あぁ」、とかいった生返事のみで対応していたが最後は面倒になって飴玉を咥えさせていた。
 これで電気を点けると、また『新発見』をして騒がれかねないので薄暗いまま手探りで部屋に入る。光源はブラインドの隙間から入ってくる街灯と月明かりのみ。昼間までの屋外の騒音は一転、ごろつきの喧嘩の怒号が代わる代わる入り乱れる様相となっていた。さっきからサンジは物にけつまづいてケタケタ笑っていた。アトラクションかなにかの気分でいるらしい。「すげー!すげーおもしれー!!ウォルト・ディ●ニーは天才!スペー、ス、ス、スペースマウンテン最高!!」と叫んでいる。この絶望的な空間の何がスペースマウンテンなのか。共通しているのは闇、ということだけだ。電気を点けなくてもこれだけ騒がれるのだから叶わない。
 あんまり垢染みて小汚いので無茶を承知で無理に風呂に入れさせたら、薄暗い部屋で水の跳ねる音がする、という環境がドンピシャに嵌まったらしく、今度は一転静かになって「あー・・・・・・・・・・」と、か細く呻き出していた。ゾロは今度から濃い目のサングラスと水の音を録音したi Podを携帯することに決めた。

 水をロクに拭いもしないまま、骨が折れて傾いたベッドにサンジはその体を放り投げた。ゾロも体を拭くのが途中で面倒になって水を滴らせたままシーツの上に倒れこむ。シーツは毛玉が付いてザラザラしていた。
「ゾロ!お前何処行ってたんだよ〜俺約束通りずっと待ってたんだぜ、一月!一月も!でも許してやるよ、お前が甲斐性ナシなのは知ってるし、それに、俺、今、最高なの」
 無駄に興奮しているせいかやたら声がデカイ。上機嫌でニンマリと笑い、サンジはゴロリと転がってゾロに覆いかぶさった。いくら猛暑の最中とは言え、水を被ったままの体は夜にもなると風に嬲られてふるりとした冷えが来る。だから密着した胸が、余計に熱く感じられた。
「約束通り?へぇ。約束守ってた奴が何でガンジャ入れてハコになんか出入りしてんだよ」
 心底意地の悪い笑い方だった。サンジは、ゾロにこういう顔をされるのが一番好きだ。自分の最も深くて柔い所を鋭利な刃で音も無く裂かれているような気がする。ゾロだけが傷を付ける事の出来る至上のコア。サンジは、背筋がゾワリと粟立つのを感じた。
「俺が帰って来るまでヤクはやらずにインターバルを空けておくこと、約束が守れたら10万ポッキリで好きなだけウンとやらせてやる、俺はそう言った筈だぜ。違ったか?」
「お前が遅すぎるからだ。ガンジャの1gや2gで細かいこと言うなよ」
 そりゃ入れすぎだ、というゾロのツッコミが入る前に、サンジは白くなるまで開いた掌をぎゅっと顎まで突きつけた。
 ゾロはベッドサイドからガンジャを紙で巻いておいたジョイントを取り出すと、火を点し肺の奥まで深く吸い込み、粒子が濾過されて半透明になった紫煙をサンジの顔にふ〜〜〜・・・と思い切り吹きつけてやった。サンジの約束がどうこうなんて最初からどうでもいい。流し目で言う。「金は?」
「ほらよ、無くなりゃ家から持ってくる。なんか物売って」
 くっちゃくちゃの諭吉がゾロの顔に降り注ぐ。ついでにその指からジョイントを毟り取って、サンジは神様からの贈り物に思い切りキスをした。
「ひいふうみい・・・・・・そうやって散々やってきて金が無くなったからこんな劣悪なトコに住んでんだろ?まぁ虱が湧いてる様な所よかまだマシか」
「ショウジョウバエとウジは湧いてるぜ」
 ゾロの右足がガチガチのベッドをガンガン蹴った。こうでもしないと据わりが悪いのだ。
「ぁあーうめぇ。ガンジャもうまいし、もうつまんない話すんの止めようぜ。俺は今最高にハッピーなの。世界がラヴで充ちてんの!お前今俺と繋がってるだろ?!胸の辺りに、風穴開いてる感じ?風穴開いて繋がって・・・あ、・・・あれ?あああ、開いてる!スゲェほんとにコレ開いてるよ!あは、あはははははは!!!風通しが良くて気持ちイイなー。な?」
「あーあー、ハイハイ、そうだな、気持ちいいな」
 ブラインドの隙間から強かに射す月光は、サンジの瞳孔が開ききっている様をよく浮き立たせていた。1p以上あるだろう真円は黒檀の様に無感情に濡れている。
 ゾロもこの部屋に来る途中、道中で一錠食っていた。プッシャーとして、仕入れたネタの出来を確かめるのは当然の義務だ。食ってからそろそろ30分が経とうとしている。


 肌がムズムズして後頭部が冷水を流されたようにサーッと冷えていく。限りなくメロウな感覚。どこまでもアガっていけると確信する意識。風が吹く度に揺らめく月光の影。鼓膜を心地良く打つ僅かに響く怒号。辛く濃い紫煙を立ち上らせるガンジャ。目の前にはガンギマリのキンパツ阿呆。

 最高だ。


 二人はそのままぎゅうと音がするほどに抱きしめあった。肌から感情の束が沁み込んでくる。
 エクスタシーをキメると、男性機能が全く役に立たなくなる。勃たないが、抱き合うだけで全てが解かり合えた様な美しい錯覚に陥ることが出来る。プライドの垣根が取り払われた陶酔は、単純な性器の往復が生み出す見せかけの快楽より遙かに勝った。唇から自然、笑みが零れる。すぐ、つられるように大きな笑声へと変わっていった。笑いと共に高くどこまでも飛んでいけるような気がした。途端に体が軽くなり、フワリと浮いた。月が近くに感じる。どんどん迫ってくる。光に触れることが出来そうで、手を伸ばす。遠く、遠く、高くに伸ばす。二人で何も無い虚空を掻く。端から見たら滑稽以外の何者でもないが、今の二人にとってそれは重要なことじゃない。大切なのは同じ世界を見ているという至福、共有しているという底なし沼に似た安堵感だ。感情の爆発は笑い声に転化され、どんどんクリアになって星と一緒になって弾け、キラキラと輝き出す。
 サンジが眩しそうに目を細めた。その様子を、ゾロが慈愛に満ちた目で見つめ返す。腰に回す手に力が入った。引き寄せられて重なる唇は乾ききっていたが、すぐに濡れた音を立て始めた。
 基地から、夜間飛行の音が響いてくる。遠慮の無いエキゾストノートが膜になって、二人を胎児の様に包み込んだ。ここは羊水の中だ、心地良い。思うに、かつては一つの肉体であったような気がする。それが二つに引き裂かれ離れ離れになってしまって、独りでいる時は、常に血を流している状態なのだ。だから人は人を求め傷口を縫い合わせる、その糸を愛と呼ぶのであって欲しい。


 この関係に、愛はあると信じたい。










 ゴン、ガガン
 ゴ、ゴ、ががん

 また向かいの婆ァが叩いてやがる。憎悪を感じるほど爽やかな朝日が頬を射す中、バーベルでも投げつけてやりたい衝動をグッと堪えてサンジは目を覚ました。次の瞬間、こめかみをナタで叩き割られたような衝撃が走った。痛みのあまりしばらく手も足も声も出なかった。割れ鐘を耳の真横でメチャ打ちされているに等しい。それでしばらくして気付いたが、ごん、ガガンは自分の頭の中で鳴っている音だった。
 キマっている間は瞳孔が開きっぱなしだから、眼圧が高まって激しい頭痛に見舞われることがままある。這うように台所に辿り着くと、ビタミンと水分を摂ってプロザックをしこたま飲む。ついでにレンドルミンも追加する。要するに抗鬱剤と睡眠導入剤だ。こうなったらもう泥の様に眠るしかない。
 ベッドに戻ろうとすると、いつの間にかゾロも起きていた。三白眼が絞られて凶悪さに拍車がかかっていた。街中で見かけたら絶対に声なんかかけたくない。
「昨日のはまぁまぁだったな」
「そうか?俺はスゲー気持ちよかったぜ」
「しばらくヤク断ってたせいだろ。連投しなけりゃトビも良くなる」
「お前もしばらく止めてみたら?きっついけどな!」
 サンジが少し恨みがましい目でゾロを見上げる。本人は何食わぬ顔で「仕事が務まらねぇよ」と笑った。笑いながら更に言う。「嘗めろよ。おさまらねぇ」言いながら、腰を突き出す。
 真顔だった。
「嘗めてやりてぇけど、俺、今すげー顎痛ぇの。ムリ」
 バツをキメると、知らないうちに歯軋りしていることも、多い。一晩中力いっぱい歯軋りしていたせいで歯茎はミシミシ軋んでいるし、顎はガクガク鳴いていた。筋肉もゼンマイ仕掛けのロボットよろしく、ギチギチとした動きをしている。
「早くしろよ」
 ゾロにしたら、そんなこと知ったこっちゃなかった。汚物を見下げるような冷たい目をしていた。こうなるとゾロは容赦が無い。少し怯えた顔つきでサンジはそろそろと顔を近づけた。天を突くように勃ち上がったソレは汗に蒸れた臭いがする。素面なのに、それすら、愛しいと思った。
 根元から、ねっとりと嘗め上げ、先端に辿り着くとまた舌を降ろしていく。時に口いっぱいにほうばり、息を詰めて深く咥え込んだ。次第に先走りの臭気が鼻を刺すように溢れ出して来た。ヤク中の内臓なんか腐りきっているから、小水の色が真っ黒、なんてよくある話だ。毒を食ってるんだから当たり前。当然、体液はまともな臭いなんかしていない。
 そのうちに、サンジの奉仕がピタリと止まった。焦らしているつもりかと思ったら、一向に動かない。不審に思ってゾロがその顔を覗き込むと、サンジはすっかり寝こけていた。今更になってがぶ飲みしたレンドルミンが効いてきたのだ。頬を張ろうが叩こうが起きやしない。ゾロは盛大に舌打ちすると、サンジの服を剥いだ。うつぶせにさせて腰を高く掲げる。そして碌に慣らしもしないで一気に怒張を突き入れた。全身の筋肉が弛緩しきったサンジの体は、強張ることも知らず、頼りなく受け入れる。慣れているから裂けることも無い。その体はゾロが動く度にユラリ、ユラリと陽炎の様に揺れた。スパートをかけられても呻きもしない。死んだように眠っている、とはこのことだろう。本当に死んでいるのかもしれない。ゾロは新鮮な死体を犯しているような気分になって、あっけなく射精してしまった。荒く吐く息が、耳の中で共鳴してワンワン響く。じっとりと汗に濡れた肌がザラザラのシーツの上にゴロリと転がる。その二人を、ナイフの様な陽射しが深々と突き刺した。















 カウンターの一番奥で、サンジは頬杖ついてブルドックをガブガブ飲んでいた。もう何杯目になるか分からない。1パイントグラスで飲んだ方が早いくらいだ。ナミがそれを呆れ顔で見ながらグラスを拭いている。
「ねぇ、ナミさん」
「聞かない」
「ぇえ。そんな真っ向から」
「じゃあ壁に向かって話してよ。そうすれば聞こえるから」
 ナミは異様に不機嫌だ。どうやら同棲していた男が、荷物をかっぱらって行方を眩ましたらしい。借金を残して行かなかったことだけが、唯一の愛の証、なんだそうだ。
「ゾロがね…最近あんまり俺ンち来ないんですよ。いや別に、ネタさえありゃあんな奴に用は無いんですけどね、アイツの持ってくるのって、極上ネタばっかでしょう?他のプッシャーのネタって、こう、パキーっとこなくて。電話も繋がんないし…。ここにもあんま、来てないのかな。」
 サンジが打ちっぱなしのコンクリの壁に向かって話し始める。横目でチラ、と見るとナミは無心でグラスを拭きながら答えた。
「パキーっとくる他のプッシャー探せばいいでしょう」
「うわぁ、そんなアッサリ」
「私は壁に言ったのよ」
 ダメだ。取り付く島も無い。ガクーッとわざとらしく項垂れると、冷えたグラスが火照る頬を冷やして気持ちが良かった。
「バツってさ、気心の知れてる奴とする方が、アガれるでしょ。もう、すごいスピードでどんどんいっちゃう感じ。ラヴって感情が雲突き抜けて、空で蕩けちゃう感じ。それがね、ここんとこ弱いんですよ。弱いって言うか、薄い。さて、何故でしょう」
 今度はクイズ形式にしてみた。即座に「連投するからでしょ」と“壁から”答えが返って来た。
「分かってますよ、でもそれだけじゃないんですって。もっと、マインドの問題の様な気がするんですよ。確かにアタマはドラッグで馬鹿になってる、だからどんどん鈍くなってトビが悪い、そりゃ分かってるけど、俺ハードジャンキーってわけじゃないし、ハートってのはまた別でしょ。ドラッグなんてオナニーだけどさ、それでもジャンキーに最後に残ってるものって、やっぱ、愛、でしょ。それが希薄化してるって、これはもう救いようがないんですよ」
 壁は今度は黙っていた。
 サンジ自身も、何が言いたいのか分からなかった。ただ薄もやの様な不安が肌を湿らせている。それが不愉快でたまらないから屁理屈を捏ねていたいだけだ。
 ナミは方眉をピクリと吊り上げサンジからグラスを取り上げると、半分ほど残っていたブルドッグを全部飲み干してしまった。ついでに「邪魔」と一言だけ口をきくと、サンジを店から追い出した。


 散々迷った挙句、サンジは結局プッシャーとは接触せず自室に戻った。人の視線に晒されているのが酷く疲れる。四方を囲むものが、欲しかった。

 それが功を奏したらしい。玄関先に座り込んで寝ているゾロの姿が、目に飛び込んできたからだ。
 ゾロは自分に何者かが迫ってくる物音にハッと目を覚ますと、ゆらりと立ち上がって腰の辺りをゴソゴソやった。黙ったままのサンジの顎を持つと、真っ白な“ラムネ”を放り込んだ。血色を失った頬が蠢き、ラムネはゆっくりと噛み砕かれる。いつもならここで苦味が来るのに、甘い。唾液でホロホロと崩れて、それは最後まで甘いまま嚥下された。本当にただのラムネだったのだ。
「顔色が悪いな…ちゃんとメシ食ってンのか?」
「お前の隈の方がヒデェよ。どこの脱獄囚だ」
 ゾロはニヤニヤしたままマリファナのジョイントをブラブラさせて言った。「アムス産の極上品。新種のパッション#3だ」
「・・・・・・お前はホントにロクデナシだなぁ」
 サンジが天使の微笑を見せた。








「なぁ〜〜〜〜〜〜〜ゾロぉ〜〜〜〜〜〜〜」
 時がゆっくりと流れている。湖面に漂う木の葉が如し、流れのままに身を任せると、体の端がどんどん水に溶けていく。
「んん〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」
 ゾロもゆったりとした口調でそれに答える。1分が1秒のようでも1時間のようにも感じる。このまま泡になって空と一体化することも可能に思えた。
「最近さぁ、トビが弱いんだよ。違和感って言うか・・・歪み?歪んでる感じなんだよ。」
「ネタはいいモンのはずだけどな」
 コイツはそんなことしか発想出来ないのか。ジャンキーなのはお互い様なのに、サンジはゾロの発言に対し身勝手にも軽い失望を覚えた。
 当のゾロはそんなサンジの心中も知らずさっき食ったばかりのエクスタシーと同じモノを電球の弱々しい光にかざしていた。重い青色のそれは光を得て、少しだけ輝きを宿している。
「ん〜〜〜そうだよなぁ、お前の調達してきたやつだもんなぁ・・・」
 しばらく黙っていたと思ったら、サンジは電光石火の早さでゾロの手からエクスタシーを毟り取り、一気に2錠、噛み砕いた。
「何してんだ、食いすぎだ!!」
 ゾロが慌てて口をこじ開けるが、無情にも群青色の錠剤は波打つ咽に押されて嚥下された後だった。
「お前のネタが悪くないんだったら、俺の頭が悪いんだ。同じモン食っても前みてーにトベねーんだよ。足りねぇってことだろ?そしたら量増やすしかねーじゃんかよ」
「とうとう壊れたか・・・」
 ゾロから諦めに似た呟きが漏れた。その口調は努めて冷静を保とうとしていた。このままサンジに引っ張られて、バッドになるのだけは避けたかったからだ。そんなゾロが、サンジにはとても遠くに感じられた。以前だったら、ゾロはこんな風に自分を扱わなかった、とサンジは思う。思う、というかそう思いたいのだということも知っている。遠いから繋ぎ止めたいのに、やることといったら、もうドラッグぐらいしかないのだという現実を、どうやりすごせばいいのだろう。

「まぁ、ジャンキーなんてそんなモンだろ」

 サンジは口に出して言うと、堰切った様に涙を溢れさせた。堪えようとしても嗚咽が止まらず、それは次第に大きくなって、闇夜を包むように広がっていった。















 ...ン、ガガン
 ゴ、ゴ、、、ガ、ががん...

 今や目覚まし代わりになった例の読経を聞きながら、サンジはその重い瞼をこじ開けた。埃舞う空間は、独居房の方がマシだと思わせるほどに荒涼としている。
 出窓を背にして、ベッドの上に体育座りで丸まった。そろそろ窓を開け放っていては寒い季節になり始めたが、それでもサンジは黙って外の読経を聞いていた。時折フワリとした風が、黒髪が目立ち始めた金髪を誘うように乱す。それでもサンジは微動だにしなかった。待っているのだ。今俺はただひたすらに待つべきなのだ、という祈りにも近い確信があった。

 この苦痛に耐えれば、またきっと愛し合える。
 俺はただ待っていればいい、体中を蝕んだこの毒が抜け切るまで。
 この毒が消えた頃に、きっとゾロはまた来るだろう。来て、俺とまた溺れるような快楽の中で一つになることを望んでいるはずだ。ゾロはこの間台無しにされたことを怒っているんだろう。あの後バッドになって大変だったし。今は俺が壊れたから離れているんだ、俺がまた元通り直れば、忘れた頃にフラリと姿を表すハズだ・・・。

 ブツブツとそんなことを呟き続けた。表の軒下の読経と混ざり合って、それは不思議な韻を結んでいく。


 世界は灰に埋もれている。そこから砂金を見つける気力さえないが、ただこの行為だけが、サンジに唯一残された一粒の砂金だ。例え、それが“魔法のラムネ玉”の気まぐれで、束の間見せてくれた極上の幻だったとしても。





end...


[2006.3.2 up]

Happy Birthday SANJI!! & I love you…



※作中に差別的な表現があったように感じられたかもしれませんがそんな気微塵もありません。