ちょっと泊めて欲しいんだ。

アイツは、確かにそう言った。
それから2ヶ月が経つが、未だに出て行く気配は無い。
もとより、素性の知れない奴がフラリと来てはまたフラリと出て行くということには慣れていた。
だから、俺は大して気にしてはいない。

それよりも。

「ゾロ」

俺を呼ぶ、その声が。

「ゾロ・・・」

オレの生活と、何よりオレ自身を。

「ゾロ、ゾろ、ォ・・・イクっ・・・」

・・・蝕んでいった。




“       ” ―untitled―






 金髪碧眼、抜ける様に白い肌、流れるような肢体。自分の内面には立ち入らせないといった意思の表れかのように長い髪で隠された左目、見たこともないくらい特徴的に巻いた眉毛。
 名を、サンジといった。
 ファミリーネームは、と問うと、「それ以外の名は持っていない」と短く返された。
 まるでドラマの様に、寒空の下、真夜中の裏路地に血まみれで寝転がっていたコイツに声を掛けたのがきっかけだった。ロクデナシ同士の小競り合いなら無視して通り過ぎているトコロだったが、街灯に照らされた金髪があまりに眩く、輝くようでつい引き寄せられてしまった。今にして思えば、それは確信犯だったのだと思う。
 冷え切って氷の様に冷たい手を取り、顔を叩くとその男は微かに目を開けた。
 すぐに救急車を呼ぶ、と告げると、コイツは「それは困る」と、キッパリと断った。だが、このままじゃ死んじまうぞと本気も交えて脅すと、「じゃあアンタの家に連れて行ってくれ」とぬかしてきたのだ。

「ちょっとの間、泊めて欲しいんだ」

 浅い呼吸で胸を上下させながらしっかりとした声でそう言った。切れた唇を動かす度に、血で固まった金髪が房になって崩れ落ちる。その痛々しい姿からは想像もできない位に、目には驚くほど強い意志が宿っていた。
 間の悪いことに、その現場から俺の自宅まではさして距離が無かったのである。連れて行かないわけにはいかなかった。

 そして、それが始まりだった。






「よお、ゾロ。お帰りィ」

 玄関を開けると、マッパ同然でソファで寛ぐサンジの姿があった。
 包帯の上に服を着ると蒸れるのだろう。
 体中に巻かれた包帯で、一つの服が出来上がっているようなものだった。
 その隙間からまだ生々しい傷跡や青黒く染まった痣があちこちに点在していて、白皙の肌にまるで花びらを散らしたようだ。

「あんまり動いてるとまた血が足りなくなるぞ」

 直視するには余りに惨たらしい痕を横目で見やる。当てられた包帯やガーゼは微かに赤く染まっていた。どうもサンジは皮膚の再生能力が弱いらしく、それとも消毒が足りないのか、一週間が経とうとしているというのに、傷口が酷く塞がりにくかった。
 以前、戯れで「白血病かなんかか?」と問うと、「実はそうなんだ」と真顔で返された。そうでないのはここ数日の共同生活で判明したが、性質の悪い奴だと思った。

「心配性だなあ、ゾロは。安心しろよ、死にそうになったらこの家出たトコロで死んどくよ、迷惑はかけねえ」

 へらっと笑うと、裂傷で汚れた顔がくしゃっと崩れた。歪んでいるな、とゾロは思った。

「くだらねえこと言ってる暇があったら、休んどけ。ちゃんと消毒してんのか?包帯も…オイ、それ変えてねえんじゃねえの?」
「んん?シラネ。ずっと寝てるだけもツマンネーんだよ。かと言ってこんな姿で外出るわけにゃいかねーし。コイツだけは相手してくれるけどな・・・。な?りりぃ」

 近づいて膝元を見ると、ブルーグレーの短毛を纏った子猫がうみゃあ、と小さく鳴いた。
 前からフロア内をうろついていた野良猫。いつの間にかサンジが家に入れて、あまつさえ名づけてしまい、すっかり居ついてしまった。

「なんでもいい。大人しくしてろ。…オレはまたこれから一仕事あるんだ」
「えっ、2日ぶりに帰ってきたと思ったら、また?」
「ああ、お前と違って、多忙でな」

 ニヤリ、と笑うとゾロは手早く服を着替え始めた。その様子をじっと見ていたサンジは、ゾロが一息つくのを待って口を開いた。

「なあ、ゾロって、何の仕事してんの?」

 普通の仕事じゃないでしょ?
 サンジは続けて言った。そうでなければ、一人住まいの二十歳そこそこの若造がこんな立派な高層マンションの、それもバルコニー付きの3LDKの一室を借りるなんてこと、出来るわけがなかった。

「さあな。つまらん仕事だよ、仕事なんてみんなクズみたいなもんだろ」
「答えになってねえ」

 サンジは少しスネた様に口を尖らせた。聞いても無駄だとは思ったが、予想通り過ぎて面白くない。そんな顔だった。

「また数日かかるかもしんねえ…メシが食いたくなったら、また適当にデリバリーでも頼めよ」
「だったら、食材のデリバリーしてくれるトコ無いかな?オレ、自分で料理したい」
「はあ?お前が料理?」

 何言ってんだ、と目を丸くしたゾロに、勝ち誇ったようにサンジは胸を逸らせた。

「ふふん、俺は調理師免許、持ってるんだぜ?」

 今度帰ってきたら、腕を振るってやるよ。
 嬉しそうにサンジは言うが、問題が一つあった。

「そりゃあ楽しみだ…だがな、サンジ。オレの家には、調理道具の類は一切無いぞ。あるのはポットと…電子レンジだけだ」
「まぢかよ!?」

 心底信じられないといった表情で目をまんまるくするサンジは、まるで少年の様だった。

「あー…もうホントに時間がねえ。続きは後だ」

 打ち切るようなその口調に、つまらなそうに巻き眉毛を寄せたその顔を、ゾロは意識的に見ないように努めた。
 見られている。背中に痛いくらい、碧眼の視線を感じた。
 そして一瞬、訪れた静寂。ゾロは、しまったと内心舌打ちした。

「・・・お前、何も、・・・聞かないんだな・・・」

 予想通り、搾り出すような、か細い声だった。躯が薄いと、声も細くなるのだろうか。取り留めのないことを、ゾロは寝不足で鈍る思考でふと考えた。

「ふっ・・・自惚れんな、オレはこの世の何もかもに興味がねえ」

 その言葉を聞いたサンジは、怒ったような、泣きそうな顔をすると、猫を抱いてすっくと立ち上がった。

「さあ、りりぃ。ゾロが出かけるよ、お見送りしような」

にゃあん。

 張り詰めていた空気に、間抜けな鳴き声が一つ響いた。

「バカ、いらねえよ、寝てろ」
「テメエが出てけば寝るよ。早く行けよ、時間、ねえんだろ?」
「・・・猫、ノミ取りしとけよ」

 パタリ、と扉が閉まり、ゾロの緑色の髪が見なくなっても、サンジはしばらく玄関から離れようとはしなかった。









『・・・今日のニュースです、昨日午後、マンションの一室で若い女性の遺体が発見されました・・・』



「ただいま」
「あ!ゾロ、お帰り!早かったなあ!」

 ゾロが二日ぶりに帰ってくると、いくぶん包帯の占める面積の減ったサンジがいた。

『・・・女性の遺体は浴槽で切断された状態で見つかり、咽元に絞められたような痕があるということです。身元の確認が急がれています・・・』

「あー、物騒だなあ。これからだってのに、勿体ねえ」

 点けっ放しのテレビから漏れ聞こえたニュースに、気の抜けた声でサンジが感想を述べた。どうでもいいのだ。顔も見たことの無い、死ぬことで存在を知った人間の末路など。

「お前だって似たようなもんだったろうが・・・もう少し遅けりゃ、お前死んでたぜ?」
「ヘヘ・・・まあな、ありゃ運が良かった」

 ゾロが水を飲みに台所に向かうと、やたらシンクが狭くなっていることに気付いた。理由はすぐに分かった。ピカピカに光った調理器具がそこらじゅうに溢れていたからだ。

「これは・・・なんだ?」
「ん?鍋w」

 見りゃ分かる。

「外出たのか?ろくに歩けもしねえくせに」
「ゾロんちにゃ、インターネットってゆー便利なもんがあるだろ。安心しろ、オレの口座で買ったよ。世話になったからな、プレゼントだ」

 ・・・何に使えばいいのか分からないものすらある。ほとんどは肥やしになるな、と思ったが口には出さなかった。
 ゾロの思いを他所に、サンジは満面の笑みだ。こんな笑顔を見たのは初めてかもしれない。

「なんでもいいけど腹減ったな・・・おい、サンジ、丁度いいから何か作ってくれよ」
「おー、そのつもりだ、すぐに作ってやるよ。あーでもその前に食材買ってこねえとなあ、何作るかなあソテーするにしてもまだフライパン油馴染ませてねえし、あ、そうだこれも・・・」

 サンジは嬉々として仕度を始めた。
 新しい鍋を使いたいだけなんだろうな・・・思ったが、やっぱり口には出さなかった。






 それからまた三日が経った。ゾロは不定期の仕事が一段落し、ずっと家にいた。それで一つ分かったことがある。サンジの几帳面さだ。料理の腕は自慢するだけあって立派なものだった。顔に似合わず、繊細な料理もこなした。
 からかい半分で店舗でも持ったらいいのにと言うと、サンジはひどく寂しそうな顔をして、そうだなとポツリと言う。
 何が爆弾なのか分からないヤツだと思った。
 そして、うんざりするほど掃除もキッチリとこなす奴だった。
 世話になっている礼というよりは、生来の性格の成せる業だろう。
 基本的生活能力の欠如したオレにとって、コイツのいる生活は単純に楽だった。

 お互い何も聞かなかった。
 何故サンジは血まみれで倒れていたのか。
 ゾロは一体何者なのか。
 本当の年、ホームタウン。何を好み、何を見て、何を思うか。共にある為に必要な会話はまるでしなかった。
 必要以上は求めない。

 それがまるで、善であるが如く。






 サンジが転がり込んで3週間が経った。
 だいぶ傷も癒え、ようやく外に出られるようになったサンジは、嬉しそうに外出していくことが多くなった。
 といっても、近所のスーパーに食材を買いに行くくらいのものだったが、それでも外の空気に触れられることが嬉しくてたまらないようだった。

 そして、ゾロは出て行けとはいかなかった。サンジも、出て行くとは言わなかった。






 サンジが外出出来るようになって一週間が経った日のことだった。サンジを路頭で拾って、ちょうど一月が経とうとしている。

 4日ぶりにゾロが家に帰ると、いつもダイニングにあるサンジの姿が無かった。変わりに、ソファで寝そべるりりぃの姿が見える。

「おい、お前のご主人はどこいった?」

 ふわふわの頭を掴んで喉を触ると、ぐるるとキモチ良さそうに鳴いた。
 あまり頭の良くない猫だと思った。

 とうとう出て行ったか。それにしてはサンジの私物が無数に点在しているからそれは無いだろうとすぐに打ち消した。
 時刻は午後七時。いつもなら、サンジがそろそろりりぃにご飯をあげる時間帯だ。

「あ、ゾロ。ただいま〜」

りりぃがみゃあと一つ鳴く。

「っ・・・サンジ、ドコ行ってた?」
「ん、ドコだっていいだろ、帰ってきたんだから」

 そう言うと、少しやつれた顔でニヤっと笑う。ゾロはその笑みに、不穏を見た。

「外出するのは構わねえが・・・また変なのに囲まれて、ボコられないように気をつけろよ。でなきゃココにいる意味がねえだろ」

「はあ?囲まれて・・・??」
「ああ?あんなトコで血まみれで倒れてたのは、囲まれたからじゃねえのか?」
「ふん?ははは!違うよ・・・俺が望んで・・・血まみれになったんだ」
「お前、何言って・・・?」
「なあ、それよりも、メシにしようぜ。・・・おお、りりぃゴメンな、遅くなって。まずはお前のメシだな」

 猫はいつの間にかサンジの足元に擦り寄って、またぐるる、と喉を鳴らした。

「好きでボコられたってのか?」

 ゾロの口元に、サンジの白くて細い指が一本、すっと突き出される。

「俺はこの世の何もかもに興味が無い・・・そうじゃ無かったのか?」

 いたずらっぽく笑うサンジは、やっと仕返しが出来たと少年の様に笑った。実は、本当にまだ十代なのかもしれない。

「なんだ、跳ね除けられたのがそんなに癪だったか?」

 やはり一筋縄ではいかないこの男に、サンジはぷうと頬を膨らませると、スッと顔を寄せて触れるだけのキスをした。

「俺に、興味、出てきた?」

 ゾロは表情を一つも変えずサンジを見据えた。何かを探すように、サンジを深く、噛み砕くように見つめる。

「・・・まるで娼婦の物言いだな」
「ああ、俺は娼婦だ」

 ネコ缶を手に取ると、慣れた手つきで蓋を開けながらそう言った。

「いや、もっと性質が悪いな・・・俺を求めるな、破滅するぜ?」
「・・・お前、この俺に何を望んでる?」
「“ちょっとの間、泊めて欲しいんだ”」

 ぶっ、と噴出すると、サンジはそのままテレビの横のトレイに猫缶の中身を全部あけた。
 何となくリモコンに手が伸びて、スイッチを押すと、ちょうどニュースの時間だった。

『・・・続きまして続報です、公職選挙法違反で起訴されていた自民党の・・・』

「美味いか?りりぃ」

 猫はサンジの問いには答えない。代わりに餌にがっついていた。

「サンジ、はぐらかす気か?」
「ゾロ」

『・・・先日の大雨で地表が洗われ、埋められた遺体の一部が見つかりました・・・』

 サンジはテレビを凝視したまま名を呼んだ。

『・・・遺体は何も身につけておらず、咽元に絞められたような痕があるということです。性別は女性、20代〜30代と見られ、身元の確認が急がれています・・・』

「・・・運のいいヤツだな。」
「ああ、ゾロ。行方不明で遺体が見つかるなんて、超ラッキーだ。骨も残らねえ人間なんざ、ごまんといる」
「・・・・・・ああ、ラッキーだな」

 ゾロはそれ以上の追求を諦めたように短く息をつくと、タイを緩めてどかっとソファに身を沈めた。
 いつもそうしているように、サンジがラム酒を注いでゾロに手渡す。
 その横で、早くも食事を終えたりりぃは、名残惜しそうにペロペロと手を舐めていた。


『・・・スポーツの時間です、今日も松井は3安打と絶好調、チームの3連勝に大きく貢献しました・・・』


 サンジも向かいに座ってぼうっとテレビを見始めた。見ているだけだ。聞いてなどいないことは目を見れば分かった。

「・・・ゾロ」
「ん?」

 サンジはもう一度名を呼んだ。
 ゾロはサンジを見たが、サンジは相変わらずテレビを凝視している。

「・・・なあ、ゾロさ、どっか怪我してんのか?」
「ああ?何だ、いきなり。別にしてねえよ、怪我なんざ」

「・・・ゾロのシャツ。久しぶりに帰ってくると、必ず血が付いてる」

 それに、人が死ぬんだ。

 呟くように、小さい、小さい声でそう付け加えた。

 サンジはゆっくりと振り返った。ゾロを見つめるその瞳は、まるでガラスが嵌め込まれたように感情が無かった。

「シャツ?さあな、口紅かなんかの見間違いじゃないのか?」
「今時の口紅は、酸化すると茶色く変色するのか?」
「何のことだか分からねえな・・・それに人なんて、今この瞬間も勝手に死んでるだろ」
「違う」
「ふざけた野郎だ。・・・何故、そう思う?」

 ゾロは笑った。笑ったなんてかわいいものじゃない、狂気を知っている人間の歪みだ。

「違うんだ。俺には、隠したって分かる。・・・お前は、死神なんだな」

 裏路地で拾われた時から、分かってた。
 俺には、分かるんだ。

 薄い唇は、死を紡ぐように言葉を続けた。


「お前は死神・・・俺と似合いだ」








 それからまた、一週間が過ぎた。
 ゾロは相変わらず、数日音信不通になってはフラリとサンジの元に戻ってきた。サンジも同じだった。時折フラリと外出しては、必ずゾロの元へと帰ってきた。

「おい、サンジ・・・そりゃあ、なんだ?」
「何って、墨だよ」

そういう問題じゃない。

「・・・イキナリ見せ付けられて、理解できるものじゃないと思うんだが」

 ゾロが帰宅すると、いつかのようにまっぱ同然でリビングに立つサンジの姿があった。違うのは、全身にサランラップを巻いている点だ。そして、背中には、黒い墨が赤く腫れ上がった肌に咲いていた。いや、背中だけではない。腰から尻、太腿にかけて昇り立つように描かれている。全体の像を見れば、それは間違いなく龍だった。
 アウトラインのみが描かれたソレは、ラップで巻かれた裸体に浮かび上がり、ひどく現実感が無かった。

「何で入れた?」
「必要だからだ」

 返ってきた答えは、素っ気無いものだった。

「すげえな・・・蚯蚓腫れみたいに腫れあがってるぞ」

 感心しているのではない。呆れているのだ。傷がやっと治ったばかりだというのに、何を考えているんだろうと思った。
 だが、綺麗だ。
 薄い背に、アンバランスに咲く墨の華。滲む血が艶やかに彩を添えている。

 覚悟の成せる業だ。
 これほどの官能を、俺は知らない。

「ああ、超いてえよ。この間、ボコられた時の方がよっぽどマシだったぜ」

 しかも、軟膏塗りたくられた上にラップで密封だ、超うぜえ。
 ぶつぶつとひとしきり文句を言うと、ゾロの顔を正面から見据えた。

「すげえ欲情したって顔、してるぜ?」

 俺が、欲しい?
 音も無くスッと近づくと、心底おかしくてたまらないといった表情でサンジは言った。

「ゾロってさ、男でもイケルだろ?」

 淫靡な視線は、ゾロを的確に捉えている。

「なんで断定形なんだよ」
「さあ?・・・商売男のカン、かな?」

 つくづく、腹立たしい奴だと思った。

「・・・俺は何者も拒まない。好きなように、通り過ぎていけばいいさ」
「そうかよ」

 サンジの目に、冷酷さが宿る。ゾロは覚悟した。魂を食われることに。
 この男は、夜叉にも等しい。


 なあ、ゾロ。俺を抱けよ。


 すげえやりてえ。


 やりてえんだ。


 じゃあせめてラップは取ってくれ。
 笑いを含んだ声でそれだけを言って、ゾロは自ら煉獄へ堕ちて行った。






 それから三日毎に、サンジの後姿には墨の華が咲き誇っていった。
 それに伴って、サンジの理想とする画が見えてきた。
 昇り立つ龍に絡まるように飛翔する鳳凰。その二つを囲うように牡丹が咲き乱れ、恐ろしく幻想的な構図だった。好んで見てきたわけではないが、今までいくつもの墨を見てきたゾロにとっても、声を失うほどの見事さだった。それ以上に、痛みを乗り越えながら耐えるサンジは、見ていてそれは蠱惑的だった。

「どうしてそんなに急ぐんだ?」

 一度だけ、聞いたことがあった。

 サンジはしばらく沈黙を保つと、「今じゃなきゃダメなんだ」と小さく言った。
 若さ特有の焦燥感だろうか。そう思ったゾロは問うたが、答えは無かった。
 代わりに、こんなことを漏らしていた。

「俺はこの墨が完成して初めて本当に自由になる・・・俺は完全・・になるんだ」

 ゾロ、お前には理解できないよ・・・そう、言われているようだった。






 何にそんなに怯えているのだろう。
 サンジがあまりに急ぐので、仕事の合間を縫って知り合いに彫士を紹介してもらったことがある。
 彫勇という彫り士名を持った男だった。
 シャツの合間から覗く極彩色の華が、この世界に染まるように冴えていた。
 そいつの話によると、図柄にもよるが、背中一面だけでも、どんなに急いでも普通は一週間毎に、大体一ヶ月から二ヶ月はかけて仕上げるものなのらしい。
「三日ごとに墨が増えているんです」
と言ったら、
「今時、随分と気合の入ったお客さんですね」
と微笑んでいた。
 あらゆる基準の逸脱した野郎だと思った。所詮、こっちの世界にまともな人間を求めるほうが難題なのだ。
 だが、それはオレも同じだ。同じように狂った世界に生きている。
「余程、何かを刻み込みたいのでしょうね」
 何かって、なんだ。
 ゾロにはまるで理解が出来なかった。

 精神論はさておいて、彫り士からの話を合算すると、賞味3ヶ月かけるところを、サンジは一月足らずで仕上げようとしていることが分かった。
 それだけに、体力の消耗は日ごとに激しさを増していく。

 それでも。

「あっ・・・あ、ゾロっ・・・!」

 アイツは。

「ゾロォっ・・・イク・・・」

 俺を求めることは止めなかった。俺も、拒否することはしなかった。






 もう数えるのも億劫になってきたが、サンジが転がり込んで二ヶ月が経った。
 包帯がすっかり取れたと思ったら、入れ替わるように墨の占める面積が増えていく。

 “ちょっとの間、泊めて欲しいんだ。”

 あの言葉が、どこか遠くになってしまったように聞こえる。


 いつもの様に扉をあけ、リビングに入ると電気も付けずにソファに座り込んでいるサンジの姿があった。りりぃが膝に乗っていて、しかしよく見ると、体が小刻みに震えている。

「・・・サンジ?どうした?」

「っ・・・いてえ・・・いてえ、イテエ、 痛ぇっ・・・!!」

側へ寄って肩に触れると、堰を切ったようにサンジは喚いた。追い縋るように、必死にゾロの浅黒い腕を掴んでは揺らす。拍子に、りりぃが怯えたように膝から転げ落ちた。

「な、なんだ、どうした」
「ちくしょう、いてえ、いてえんだよ! あァ、チクショウ!!」

 サンジは瞳孔が開きっぱなしの目で叫び続けた。顔に触れると、驚くほど熱かった。
 どうやら、針で痛みが体中に回っているらしい。発熱もひどく、しかし寝てもいられないのだろう。

「ちくしょう、いてえ、イテエ、痛ぇぇええぇっ!!」

 ソファで悶絶するサンジの躯をくまなく調べると、墨だけではなく、小さなリングやバーベルがいくつも刺し通されていた。どれも直径が2〜3oもあり、数は見えるだけで11箇所。そのどれもが血で滲み、鬱血している。

 異常だ。狂ってる。

 ゾロは、サンジから上り立つ血の匂いに、いつか見た光景を思い出した。


 今まで俺は、数え切れない程の肉槐を処理してきた。
 その俺ですら息を呑んだ。

 ・・・まさに、地獄絵図だ。

「ゾロ!ゾロ、忘れさせてくれ!!」

 それでもコイツはオレを求める。

 俺は・・・受け入れた。

 それは、サンジの言葉の端に、同じ思いを共有していることを感じ取ったからに他ならない。




 あの日の記憶を、苦痛を、血の匂いを。


 ・・・忘れさせてくれないか。







「あァっ、すげ、え・・・入って、くる・・・」

 背中をシーツに押し付けることの出来ないサンジは、抱えられるように自ら上にのってゾロを貪った。

「ゾロ・・・ゾロ、畜生、いってえ、いてえよ・・・」

 ゾロがサンジの細い腰を掴むと、軟膏と体液で手がひどく滑った。尻の密着する腿にも滑った感触があった。それは、この男が最後まで針が皮膚を刺す痛みに耐えた何よりの証だった。

「ゾ、ろっ・・・もっと、埋め、て・・・」

 サンジはいつでもより深く、どこまででも貪りたがった。
 貪欲なだけかと思っていたが、本当に躯を埋め込んでしまいたいと思っているのだということに、最近になってようやく気付いた。





 足りねえ、足りねえ、足りねえ。
 肉片になったっていい、犯り殺してくれ。
 ぶっ壊れるまで突いてくれ。
 穴なんて拡がったまま、塞がらなけりゃいい。
 お前がずっと埋め込んでいてくれれば、それでいい。





 ・・・まるで呪詛だ。
 愛とは呼べない、肉の繋がり。

「イイか?サンジ・・・っ?」
「くぅ、ああ!ゾロ、すげえ、ぞろォッ!!」
「俺が、いいのか?オレ、がっ・・・!」
「アア、あ、ぎぃ・・・アッ!!」
「イイ、なら・・・イイって、言え!!」

 血走った目でゾロが叫ぶが、サンジは、だらしなく開けた口の端から唾液と嬌声を漏らすばかりだった。

「あ、くっそ・・・イク・・・」

 サンジが降参の声を上げると、ゾロの手が噴出を待つソレに伸びて、ギッと強く握りこんだ。加減など一切しなかった。

「な、んで・・・」

 放出を果たせ無かった熱い本流が内臓に響いて全身が震えた。剥き出しになった神経はビクビクと躯を痙攣させ、支持さえままならなくなった裸体をゾロへと崩れさせた。

「誰の許可を得てイこうとしてんだ・・・?」

 鬼神の様な目つきだった。サンジは見惚れた。



「ふ、ふふ・・・ふ・・・」



 俯いた金髪から、震えた声が漏れる。

「なに、笑ってやがる」

 ゾロは苛立ちを隠そうともせず、威嚇も交えて噛み付くように言った。
 だがサンジは、徐々に笑声を声高にしていった。
 ゾロの神経を逆撫でするように、壊れた玩具のように。

「はは、ははははは・・・いつも、オレを抱いたヤツは、そうだ・・・夢中になって、俺以外、見えなくなって・・・破滅する」





 お前ももう、お仕舞いだ。
 一日中、オレのことばかり考えているだろう?
 なあ、死神。
 それとも、オレのことも殺すか?
 そうしてくれ。
 お前と共に、あるためなら。


 ・・・オレは、死すら厭わない。






 ガラスを嵌め込んだような無機質な目で、サンジはそう言葉を続けた。
 その頬に触れると、ヌルリとした感触が伝わってきた。
 動く度に、刺し通されたばかりのピアスから血が溢れ出たらしい。それは肩に滴り、胸に伝い落ちて紅い亀裂を作っていた。
 それで初めて、ゾロはサンジをあそこまで痛めつけたヤツのキモチが分かったような気がした。






「ぞろ・・・ゾ、ろ・・・。」

 俺は、俺の名を呼ぶその咽元に手を伸ばした。
 男は、満足気に優しく笑うと、そのまま静かに目を閉じた。





「        」





 奴は、最後に何事か呟いたが、俺には聞き取ることが出来なかった。





FIN.




[2004.9.25 up]