- ヴィジョン -



 俺は何度でも夢幻の中でサンジを殺す。

 おいゾロおやつだぞとお声がかかり、頭を上げその方を見た。サンジだ。心底迷惑だと言わんばかりの顔をして扉の向こう側に立っている。何が迷惑って、俺が毎日寝床を変え不定にしているのが面倒だそうだ、見つけるのが大変だという。
 俺は毎度の口上を聞き流して冷たいグラスを受け取る。グラスはその表面にうっすらと滴をたたえ指先を僅かに濡らした。流れのまま口に運ぶ、ふわふわの泡が厚く浮いた薄緑色の爽やかな香気のハーブ・ティーだった、甘くは無かった、他のクルーに出している分はきっと甘いのだろう、こいつは俺に対して変に甘いものは出してこない。
 一気に飲み干すと、既に扉へ向かっていたサンジに声をかけた。

「グラス。あいた」

 ちったぁ味わえよとか、お前がここまでもってこいよとか、文句いいつつもコックは踵を返しやってくる。癇に障る靴音を立てて。俺は頭をガリガリやりながら右手のグラスをトレイに置いた。サンジはまだ何か言っている。
 コックは暑いせいか、かなりシャツを着崩していた。開襟された胸元から、汗と香水の混じった少し酸を含んだ匂いがする。嫌な類ではなかったが、さっき飲み干したばかりの飲み物と相性が最悪すぎる。反射的に顔を背けると、お前ってホントにいい性格してるよな!と呆れ半分の嫌味が降ってきたが、俺が特に何も言わないでいると、サンジは“相手してらんねーよ”と言わんばかりの態度で扉を開けて出て行った。
 俺はそれを耳だけで見送った。奴の顔は見なかった。

 扉の外、甲板は珍しく静かだ。かしまし三兄弟はとっくにおやつも済んで、満足に午睡でもしているんだろう。俺も中断された睡眠に戻る為、横になることにした。ふいに先刻の匂いが蘇って鼻の辺りに纏わりつき、思わず手で払ったがあまり効果が無かった。



***



 薄緑色のレースカーテンが不自然に揺れている。その向こう側に、何か物体が蠢く影が見えた。カーテンを刀で薙ぎ払って押し入ると、白い羽毛がふんだんに散らされたベッドに人の形をしたものが二つばかりあった。二つのものは人間だった。一人は金髪だ。よくよく顔を見ればサンジだ。服を着ていない。誰だか知らない男に前から貫かれている。俺の知らない男とまぐわっている。
 俺は驚きと怒りに声も出せないまま二人を引き離した。するとコックは笑った。人の喉から出ているとは思えないほど禍々しい笑い声だった。体中の神経を掻き回されているような不快感がせり上がって来て俺は激しく嘔吐した。哄笑はまだ続いている、むしろ酷くなった、頭が痛い、このままでは自分が壊れてしまうと思った、こいつは肉の詰まった麻袋で、どこかにカラクリの仕掛けがあって、それで声が出ているんだろうと理解した、俺は必死にスイッチを探した、きっとコイツの喉元にあるはずだ、そこが一番うるさいからだ、白い首をまさぐった、無い、ツルツルと滑るばかりで何も手応えが無かった、巧妙に埋め込まれ隠されているのかもしれない、一体どこにあるんだ?面倒になって首を絞めることにした、持てる握力を総動員して締めあげる、皮膚の下の肉に指がめり込んでいく、気道が押し潰されてゴリゴリとした感触が伝ってきた、徐々に声は小さくなっていく。
 どうやら当たりを掴んだらしい。

 気がついたらサンジの形をしたモノ・・は静まり返り動かなくなっていた。やっぱりカラクリだったのか、俺は酷く安らかな心持になってそのベッドを後にした。



***



 目が覚めるといつも脇に冷たい汗をかいていて、歯軋りし過ぎた顎がミシミシ音を立てている。このところ、身震いするような夢ばかり見ていた。俺はいい加減、夢も見ずに眠りたい、半ば昏倒したいと思っていた。肉体的な疲れよりも精神の慰めが必要だった、だがこの船には痛飲以外に苦痛を和らげる手段が無い。
 キッチンへ行くと、サンジが弾かれた様にこちらを見た。俺だから、というよりかはマズイところを見られたから慌てている、そんな感じだった。
「はっ・・・なんだ、酒か?すげぇいいタイミングで来たな」
「・・・なんだ?それ」
 チーズフォンデュって食いモンだよ、しらねぇか。サンジは立ち上がるとワインラックから数本の瓶を抜き取ってグラスを二つ用意した。
「この間仕入れたチーズにハズレがあってよ、しょうがねぇから試しにフォンデュにしたんだよ」
 湯気の立つ小鍋をテーブルの中心に据え、サンジはテキパキ支度を続けた。
「なんだ、それ、チーズか」
 確かに、部屋にはチーズと何かの匂いが充満している。
 なに、お前、本当にしらねぇの?白ワインでさ、削ったチーズ煮込むんだよ、で、こうやってパンを串に刺してこの鍋に突っ込んで、チーズ絡めて食うんだよ。・・・おい、あーもう、あんまり掻き回すなよ、パンが崩れるだろ。サンジのうるさい講釈を聞きながら口に運ぶ。熱いチーズは強い塩気を撒き散らし舌の上を転がった。
「・・・なんか、べちょべちょするな」
「うーん、味は悪くねーけど、ルフィの腹の足しにはなんねーな・・・」
 サンジは浮かない顔のまま他愛無い話をし出して次々パンを刺しては鍋に突っ込んでいた。その溶解したチーズを頬張ると、唇が脂で覆われ濡れたように光った。それを薄い舌が這い出してきて舐め取る。サンジのベロはいつも健康的な薄紅に染まっている。ヘビースモーカーな割に表面は滑らかで荒れていない、俺たちの知らないところで手入れをしているのかもしれない、触れたらどんな感触がするのか。自分が持っている舌とは全然違うもののような気がした。
「・・・なに、不味いのかよ?」
 声をかけられて我に返った俺は、いや、そうでもねぇ、とだけ返事をした。
 “そうでもねぇ”だってよ、マリモが生意気言うよなー!サンジがグラス片手に上機嫌で笑う。



***



 俺は砂漠のただ中にいた。白茶けた砂に足を取られて、うまく前に進めない。何処へ向かっていけばいいのか分からないまま酷暑の僻地を歩いていた。陽が落ち始めると急に冷えがきて、俺は絶望的な気持ちになった。闇雲に走ると目の前に小さなオアシスが飛びこんできて、飛び上がるほど嬉しかったが、その中に動く影が見えて咄嗟に身を隠した。ソロソロと音を殺して近づくと、水に頭を突っ込まれてガボガボ溺れている奴がいた。裸のまま、川辺にうつぶせになって、金に染まった髪を他の男に掴まれて、顔だけ水に押し込まれ、口からあぶくが出なくなると引き上げられ、ヒューヒューと喉を鳴らして息を吸い、そうしてまた水に沈められる。
 沈められているのはサンジだ。
 傾く夕日は闇を濃くしていき、その暗がりに呼応するようにサンジの顔色はどんどん悪くなっていく。俺は慌てて駆け寄ってサンジを拷問しているその男を斬り伏せた。水面に顔を押しつけたままぐったりしているコックの身体を抱きあげ顔を見た。髪がめちゃくちゃにふり乱れていた。その頬を叩いて、おい、しっかりしろと呼びかけると、サンジは口角を引き上げて邪魔するな、と小さな声で言った。邪魔するなよ、折角イイところだったのに。
 馬鹿言うな、お前死ぬぞ、苦しくねぇのか。俺が何を言おうがサンジはニヤニヤ笑っているだけだった。苦しくなんかねぇよ、最高だったのに、邪魔しやがって。

  そんなわけないだろ!

 俺は金髪を掴んで水に押し込んでやった。さっきみたいな顔だけなんて生半可なことはしない。肩も浸かるぐらいの勢いで押し込んでやった。
 水中から泡が上がってこなくなっても、しばらくそのままにしておいた。
 ほら、苦しいだろサンジ、分かったよな?もうこんなことは止めろよな。
 俺は諭しながらコックの身体を引きあげてやった。暗がりの中でもそうと分かるほど、全身が蒼白に染まっている。既に息をしていなかった。
 水を吐かせる為に唇をこじ開ける。舌だけが血の様に赤かった。



***



 船は順調に航行している。角の取れて柔い日差しに、微かな風が流れミカンの葉を小さく揺らす。このところ、賊や獣や軍からの襲撃も嵐も無く、皆よく眠れる日が続いているはずだ。
この俺を除いて。
 甲板に出されたテーブルにルフィと俺が腰を据えて話し込んでいたら、キッチンから出てきたサンジが目を白黒させていた。そのまま扉を閉め引っ込んだと思ったら、数分してトレーにおやつを乗せてまた出てきた。お前らがそう落ち着いてるなんざ、珍しいこともあるもんだと言いながら手際良く配膳していく。ルフィには餡子がべっとりと塗られた白玉が、俺には餡ののっていない白玉と、竹を削いで出来た平べったい串が添えられていた。ルフィにも串は添えられていたが、フォークがいいと駄々を捏ね、サンジが苦笑しながら作法を教える。
 その様を横目に竹串を手に取って白玉に刺す。
 ぬる・・・と手応えがあった。肝臓に刃を突き刺した時の感触に似ている。男のアレに突っ込んだ時もこんな感じなんじゃないかと考えた。この串さぞ気持ち良かろうな、とも思った。
 珍しく配膳を終えても動かないサンジが何考え事してんだよ、さっさと食えよと促してくる。せっつかれるまま一つを口に放り込んだ。
 中に仕込まれていたユズ餡の爽やかな香味が抜けた後、名残を惜しむかのように竹の香りが追ってくる。爽やかだ。この脳を灼く訳のわからない激情と裏腹に味蕾は澄み切った青空のようだ。
「味、どうよ?」
 サンジの問いには答えられなかった。こいつからはこの間とはまた別の香水の匂いがした、それは情欲の匂いに似ていた。たまらなくなり故郷を思い出すことにした、走り回った竹林の湿気と冴え冴えした空気、雨上がりの土の匂い、葉先から零れる露の滴り、しかしすぐにそれはある一つのイメージに集約されていった。
 冷えた肌に籠る湿り気、汗に濡れて香り立つ匂い、その口の端から零れる唾液の透明な糸と白い粘り気の滴り・・・俺は夢中で目の前の白い玉を口に放り込んでひたすら咀嚼した。勃起していることを誤魔化したかったからだ。
 気がついたらサンジは消えていた。
 ルフィはとっくに食べ終わっていて、手を伸ばしてウソップの団子をつまみ食いしようとして盛大な喧嘩になっていた。
 キッチンの扉は固く閉ざされている。それは誰彼の侵入をも拒む象徴に見えた。
 俺はいてもたってもいられず格納庫へ急いだ。
 眠る為に。眠って、今度こそ、夢もみず眠る為に。



***



 辺り一面、白い空間だった。編まれた竹で出来た僅かな床だけが色を持っている。サンジは複数の男に囲まれ、その中心で揉まれていた。
 皮を剥く様に服を脱がされて、くるり、くるりと器用に体勢を変えていく。よつんばいになり後ろから貫かれながら、前からも他の男のイチモツを喉奥まで咥え込み鼻で荒く息を吐く。愉悦で歪み蕩けそうに目を細めて。
 俺と目が合った。サンジは俺が誰だか分かった顔つきになった。聞こえないはずの哄笑がまた聞こえ出す。

  やめろ
  ヤメロよ
  どうしてだ

 俺は鬼徹を引き抜いて構えた。早くこんな乱交は止めさせなければならない。サンジと男の隙間、その尻に埋め込まれている肉の根元めがけて振り下ろす。
 男の陰茎からものすごい量の血が迸り出て、チンコは血が集まって固くなるってのは本当なんだなぁと実感した。
 サンジはふいに後ろを向いて男がこと切れていることを確認すると、尻に入ったまま千切れたペニスを指先でつまんで滴る血を飲んだ後、俺に向かって投げつけた。肉片は俺の腹に貼り付いて赤い染みを作り、もったいつけてゆっくりと落ちる。
 俺はサンジが急に憎くなった。何故ここまで俺を苦しめる?こうまで追い詰める理由はなんだ。ここまでする必要がどこにある。俺が一体何をした。こんな奴は、こんな輩は死んだ方がいいに違いない、死ぬべきなのだと天啓が降りて確信した。
 お前が存在することそれ自体が罪だ。
 手にした鬼徹を脇に構えるとそのまま全体重をのせてサンジへと突き刺す、ちょうど心臓の辺りだ、皮膚と肉と筋肉と内臓と骨が破れる音がミシリと鳴る。

 俺はまた夢幻の中でサンジを殺した。

 サンジは嗤っている、嗤って、俺を誘いかける。
 今まで見せたことも無い表情を晒し、俺に向かって真っすぐに、血を吐きながら、これまでになく近い距離で。
 体液でぬるついた手が俺の唇を捉え、手はすぐに唇に変わった。舌が纏わりついてくる。サラサラしていた。想像していたどんなものよりも、例えば絹よりも、ずっと上等だった。

 ふいにサンジはかき消え、遠くから規則正しい靴音がした。
 それは徐々に音量を増していく、俺は夢と現の双方で顔を上げる、前から後ろから俺を呼ぶ声が聞こえる、どっちだ、お前か、お前なのか、お前本当にサンジなのか

「おい、このクソマリモー!起きろっつってんだよ!晩メシ!!」

 俺は繰り返し夢幻の中でサンジを殺す、他に何をヤるわけでもなく。

 もし・・・サンジを夢の中で殺さなくて済むようになった時。
 現実の俺はどうなっているのだろう。




End.

[2011.2.20]
■ぽち様からのリクの一部、「夢幻」からイメージを膨らませ起草しました。

読む度にいろんな発見があるように、といろいろ仕掛けを埋め込んだつもりです^^;
今回、初めて片思いモノを書いてみましたー