1.蠢く
午後9時半。それは、一切外光の得られぬ帝愛地下労働施設において、一日の区切りを知らせることを目的に、人工的な灯りが途切れる時間帯である。施設労働者たちは翌朝6時まで、人工的な朝が再びやって来るのを眠り待つ他仕方がない。
だが、その中にあって、若干の例外があった。夜中、用足しに動く者の為の目印である常夜灯がそれである。地下数百メートルの中、監禁状態、過酷な労働、劣悪な衛生状況、しかも夜は完全な闇、とあっては神経がすぐに参ってしまう。人はそれが希望そのものであるかのように、灯りを求める習性がある。その小さな灯に夏の羽虫が如く引き寄せられ、大部屋の扉を開け、廊下に出れば、便所から煌々とした光が漏れているのが見えた。この地下施設の中で唯一、時を選ばず昼の様な明かりの恩恵を受けられる場所である。
今日もまた、消灯の時間に大部屋の明かりが落とされると、しばらくして、酷く寝心地の悪い5段ベッドから木の軋む音が鳴り、一人・・・また一人・・・今度は二人・・・切れ切れにトイレへ向かう者が出た。生理現象による用足し、それ自体は別に珍しいことではないが、それにしても頻繁で人数が多い。そうして、10数分後、彼らは大部屋へ戻ってくる。一様に気の抜けた表情で皆が皆、戻るなり速やかに睡眠に入った。
その、人の出入り激しいトイレでは、大槻,沼川,石和の三人が隅に小さな台を用意しその上にくたびれた数冊の雑誌や漫画類を陳列していた。種類は多様で、かわいらしいアニメキャラが白濁にまみれた絵が描かれた表紙の単行本、若く健康的な肉体を惜しげもなく晒したグラビアアイドルが印刷された写真集、官能的な肉体で誘うような表情の熟女が描かれた漫画雑誌・・・労働者たちはそれらの中から一冊を思い思い手に取り、大槻たちに2000ペリカを支払うと個室のトイレへと消えていく。入れ替わる様に出てきた男は黙って雑誌を台に戻すと、そのまま素早く大部屋へと帰っていった。
「女とヤりたいっすねー・・・・・・」石和が呟く。「こんなペラ紙の女じゃなく・・・腰の振り方、忘れちまいますよ。」
「まぁまぁ、次の外出券が出るまでお前あと半年程度なんだろ・・・?ここにいる奴らと違って俺たちにはチャンスがたくさんあるんだ、とりあえず今はヌいてスッキリして、本物は我慢してろよ。」沼川が適当なグラビア雑誌を一冊手に取って石和に押し付ける。石和は憮然顔でそれを受け取ってため息をつく。「ここにデリヘル頼めないっすかねぇ・・・。勤労オプションに追加してくれりゃいいのに。」それは流石に出来ない相談だった。地下施設への部外者の出入りは厳禁、まして定期的にやってくる外界の者との接触は何が起こるか分からない。帝愛側が許すはずもなかった。
「こういう時、ホモはいいよな!選び放題じゃねぇか。俺もう男でもいいかなって思わなくもねぇよ。ここだったら自給自足出来るじゃねーかっ!!なぁ!?」石和が自棄っぱちに吠える。ああ全くだな、と沼川が苦笑いを交えて相槌を打つ。「いいからお前、ヌいてこいって。」
その時、大槻がハッとした表情を見せた。
「・・・・・・・・・・・・・・石和。沼川。」
真剣な顔つきで、大槻は声を思い切り低く抑えて二人を壁際に押しやり、ボソボソと話を始めた。トイレの個室では、くぐもった吐息と紙がめくられる音がなお静かに響いている。夜の地下労働施設にあって唯一、昼を享受できる空間。その希望が如く明かりに、どこから入り込んだのか、蛾が一匹、纏いつくように燐粉を散らし羽ばたいていた。
「本当にうまくいくのかよ?」
客もあらかたはけた移動用売店ワゴンの後方で沼川がボヤく。今日もツマミの売れ行きは好調で、スカスカになった棚に追加で商品の陳列をしていた石和はそのボヤきを背中で受けた。
「なんだよ、お前も一度はノッた話じゃねぇか。今更ぐちゃぐちゃ考えたっておせーんだよ。」振り返り、思い切り声を絞って言う。「今はどうやったらうまくいくか、そんだけ考えろよな。それから、他の奴らがいるところでその話はもうするなって。」石和にたしなめられて沼川は黙った。視線を背面の壁へやると、地下勤労オプションの張り紙が目に入った。一日外出券・50万ペリカ。今、班長である大槻は、このオプションを使って一日分だけ地上へ出ている。とある仕込みをする為だが、その企みと概要を知る者はこの石和と沼川の二人だけだ。大槻の提案によると、この仕込みが実を結ぶには初期投資にざっと200万ペリカは必要になる。地上でも地下でも大金だが、大槻によればこんな費用なぞ数週間もたたず回収出来ると言う。しかも長く利益が見込めて、更に労働者たちも喜ぶであろう・・・ワシはみんなの為を想ってやるのだ。沼川は、そう言っていた時の大槻の不敵な嗤い顔を思い出してブルルと震えた。
その日の夜に、大槻は地下へと帰って来た。懐に、地上での確かな収穫ブツを忍ばせて。ソレを見るなり、石和は「よく手に入りましたね」と感嘆の声を上げ、沼川は「これがですか?」と訝しみながらも、ソレから目が離せなかった。
「明日、実行に移すぞ・・・!特別な賭場だ。人数は・・・10人もいれば十分だろう。くれぐれも人を増やし過ぎるなよ。それと・・・・・・ここが重要だ。伊藤開司をなにがなんでも賭場に参加させろ。絶対に、どんな手を使ってでもだ。」
「え、伊藤開司ですか!?」沼川が大仰に驚きの声を上げる。「よりにもよって・・・他にも候補はいたでしょう?なんでまた・・・・・・。」不満顔を隠そうともせず食い下がった。その肩を、石和が掴んでまぁ落ちつけ、と目くばせする。
「なに、最初のサンプルにはああいうのがちょうどいいんだよ・・・それに・・・聞くところによると、カイジくんは、案外そっちに人気者のようなんでな・・・・・・。」
くれぐれも不自然な行動は取るなよ。二人の男に念を押すと、普段は小さめの大槻の目が、この時とばかりに見開かれ残酷に濡れ光った。

|