2.誘い
「は・・・?博打・・・?」
カイジは思い切り呆けた声を出していた。その手元には100ペリカ札が四枚、握られている。入った給料をビールだのポテチだのにバカスカ使い放題した結果だ。400ペリカといったら、地上貨幣価値に換算して40円。駄菓子だって思うように買えやしない。
「そう、ここは特例で、ある条件を満たせば、班長仕切りの元での博打が認められているんだ。その賭場を今晩特例で開くことになったんだが・・・小人数でね。博打のなんたるかを分かってる奴だけ、集めたいんだ。」
沼川が必死の愛想笑いでカイジにそう切り出したのは、キツイ労働が終わり夕飯も済み、皆が大部屋で思い思いの時間を過ごしている時だった。カイジは壁に身体を向けたまま、顔だけ沼川の方に曲げて返事をした。「博打のなんたるかって・・・なんだよ、それ。」あからさまに警戒心剥き出しの表情だった。当然の反応だ。
「だって君、伝説の博徒なんだろう?噂は方々で聞いてるよ・・・!大幹部を落としたとかなんとか!是非その手腕を見せてもらいたいんだ!ここにいる連中は、どうも張りがいじましくってさ・・・!」
カイジは再び壁に顔を向けて言う。「なにが伝説の博徒だ・・・結局負けてこんなトコに堕ちてんだ、大馬鹿野郎もいいとこ・・・!」
「いやいやいや、結果はともかく、スゴ腕には変わりないって!あんたは何か、強烈なモンを持ってる!そういう人に出会ったら、それを見てみたいって思うのが普通だろう?な、頼むよカイジくん・・・!是非参加してもらえないだろうか・・・!」
「・・・・・・・・・・・・あのな。」カイジはひとしきりもじもじした後、消え入りそうな声を出した。手に握られたペリカを沼川に突きだして言う。「これが、今の俺の全財産なんだよ。・・・こんなんで博打もクソもあるかよ。」
すかさず沼川は10000ペリカ札を六枚、カイジの手にのせた。そうして小声で付け足す。
「絶対に誰にも言うなよ・・・・・・軍資金はこれでなんとかなるだろ?これは貸付じゃない、やる。譲渡だ。黙って受け取ってくれ、騒ぎになるとマズいんだ。」
ここにきて、流石のカイジも目を吊り上げた。気味が悪いなんてもんじゃない。
「は・・・?なに、何、これ。アンタ何企んでんだ?」
沼川は精一杯苦渋の表情を浮かべて息をついた。ここからが正念場だ。
「・・・・・・実はな、これは上からの命令なんだよ。アンタ帝愛の大幹部どころか、ボスにまでたてついたことがあるんだろう?カイジくんに興味持った悪趣味な金持ち連中がゴマンといるらしいんだよ。・・・で、地下の小博打でもいいから見せろって話になったんだ。」
その瞬間、カイジはあの悪夢を思い出した。
鉄骨渡り。たわみ揺れる細い鉄骨の上を走破した悪夢。夏の夜の海風のぬるさ。足が溶けてなくなるような浮遊感。自分の意志で身体が制御出来なくなる恐怖心。肌を濡らした脂汗の感触。血が全身から抜け落ちてかき消えてしまうかと思った。心臓が粟立って涙が止まらなかった。一人、また一人パニックに陥り落ちて行った。みんな落ちた。石田さんも落ちた。佐原も落ちた・・・ドアを開けようとして・・・ニタニタ笑う金持ち共の思惑通りに落ちた・・・掴みかけた希望諸共・・・あいつらずっと笑ってた・・・俺以外誰も残らなかった、誰も・・・・・・。
俺だけが助かった。
「・・・・・・・・・・・・冗談じゃないっ!!!!!!」
カイジは思わず立ち上がって沼川の胸倉を掴んだ。
「そんな連中の為に博打だ!?ふざけろっ・・・!ふざけんなよ・・・!誰がやるか、くそが!!!」
周囲の人間が何事かとざわめき、止めに入ろうとするが石和がそれを制した。沼川は胸倉を掴まれたまま、冷静に後を続ける。
「カイジくん・・・分かってくれ、断ったらアンタも俺も・・・・・・それどころかこの班自体がどうされるか分からない。こんなところ、あいつらの胸先一つで処遇が変わっちまう。だから、班を纏める俺たちがみんなを守る為に、少ない給料から出しあって、6万ペリカでなんとか、お願い出来ないかと頼んでるんだ。な、頼むよ・・・。」最後はほとんど、絞り出すような声だった。石和が思わず、沼川の迫真の演技に呆け面を見せたが、慌てて我に返り厳しい表情を作る。
「・・・回りくどいんだよ、アンタ。なら、最初っからそう言えばいいだろうが。」
「すまない、ただ・・・こんな話、信じてもらえないと思ったから、さ・・・。」
あ、でも凄腕だって思ってるのは本当だよ、愛想笑いを浮かべて付け加える。
「・・・なんの、博打なんだよ。」
「チンチロって言って、こう、サイコロ三つで・・・」
「おいおい、そんなもん、完全に運のシロモノじゃねぇかっ・・・!そんなんで盛り上げろって言われたって、俺がどうにか出来ることじゃねぇだろ。」
「いいんだよ、無理に盛り上げなくたって。変に小細工して、連中にバレて懲罰だなんて話になる方が、よっぽど・・・だろ?」
それで、カイジは、手の中の10000ペリカ札六枚をしげしげと眺めた。降って湧いた6万ペリカ。どの道今の調子では、次にまた給料日がきたらあれやこれやとバカ買いしてしまうだろう。だったら、このチャンスを逃す手は無い、だが・・・。
「この金、もらって、俺が大負けしたら、どうなる。」
「いやいや、実際、月の給料以上に負けることなんて、あり得ないよ。その額で充分、逃げ切れるさ。保証する。」
それでハっとなった。人から軍資金貰って博打しておいて、負けたらどうなるんだなんて厚顔もいいところだ。俺はいつもこんなヌルい精神だから、肝心なところで勝つことができない。・・・やる前から負けることを考えている奴に、勝利があるか?つべこべ言わず、勝つしかないだろう!
「・・・・・・・・・るよ。」
「えっ?」
「やるって言ってんだよ!ただし、俺が引き際だと思ったらそこで止めるからな!!」
「あ・・・あぁ、ああいいとも!いいとも、好きにやってくれていい!ありがとう、すまない、カイジくんありがとう・・・!」沼川はうっすら涙さえ浮かべ繰り返し謝辞を述べた。その様子を見て、お前も大概、役者だね・・・と石和は独りごちた。
その日の賭場は、異様な雰囲気となった。集まったのはたかだか10人。博打とは言え、いつもは和気あいあいと楽しめる空気がそれなりにあるというのに、カイジ一人がそこに参加しただけで場がキュッと音を立てて引き締まった。
どこから撮られているのか分からないカメラを意識しながら、薄い座布団を引き寄せてカイジが座る。参加費用の300ペリカを支払い、チンチロの説明を受けて3つの賽を握った。この賽に、この一振りに、自分の、ひいては班の皆の未来がかかっているのだ・・・土台、悪趣味な連中を楽しませたいとは思えない、そもそも己の博打の何を見てどう楽しもうとしているのか、連中が何を望むのかも分からない。自分の感性で信じるまま賽を振るだけ・・・一度目を閉じ、握る拳に力を籠める。
カイジ、その第一投、まさしく賽は投げられた。
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