3.始り
カイジの心配を余所に、博打は大盛り上がりを見せ、最終的にはカイジの一人勝ちで賭場は締められた。最初、小張りで盛り上がりに欠ける鍔迫り合いが続いたが、大槻の大張りで場は一変、ひりつくような緊迫感の中、だがこれを見事に切り返したカイジは結局最初の6万ペリカを10倍の60万ペリカにまでもっていったのである。たった一晩で外出券を獲得してしまったわけだ。
だが、元々この金は班長たちの金である。しかもこの勝ち金も班長の懐から出されたものだ。カイジは勝つには勝ったが、そもそもの発端はお上の命令で双方仕方がなく、だ(と、カイジだけが思っているわけだが・・・)。冷静になるとこの金は素直に受け取っていいものやら悩んだ。「おい、成り金連中はこれで満足したんだろ?この金は・・・」言い淀むカイジの姿を見て、大槻は慣れた愛想笑いでしっかりと目を見てたしなめた。「それはカイジくんの金だ。お陰で俺たち皮首一枚繋がったよ。ひょっとしたら、待遇がうんと良くなる可能性だってある、相手だって人間だからな。カイジくんの取り分としちゃ、少なくて申し訳ないくらいだ。ありがとう。」
それを聞いて、カイジは破顔一笑どころか感動から涙すら浮かべた。大槻はそれを見て、大笑いしたいのを必死に堪えてこう続けた。
「カイジくん、実は、さっき上から内線が入ってな・・・お客様方が大変喜ばれて、褒美があるとのことだ。また芝居の続きみたいで悪いんだが・・・男としては悪いモンじゃ、決してないから、受けてくれないか。」
褒美だぁ?若干の警戒心を含みながらも、先導する大槻達にカイジは二つ返事でその後を追う。
この時、カイジは気付くべきだったのだ。
何故、最初にこの博打を打診してきたのが班長ではなく、人当たりの良い沼川だったのか。
どうして、話が出て以来一度も黒服の姿が絡んでこないのか。
実入りの少ない地下労働者相手に、高値で小売をするような男が、何故そこまで班の為に身を削ったのか。
ただの多重債務者の一人である自分が、同じ境遇の多重債務者を守るなどという思想が如何におこがましいことであったか。
そして、鉄骨渡りでようやく満足するようなキチガイ共が、地下の小博打にそもそも興味なぞ湧くはずもないということに。
まして、褒美などという発想自体が皆無だということに。
勝利は人の判断力を著しく奪うものらしい。カイジはただふわふわとした気持ちのまま、何重もの重い扉をくぐり、その未来を暗示しているような暗く冷たい廊下を、ひたすらに歩いていく。
「ここだ。」
案内された部屋は、ビジネスホテルのような小奇麗な部屋だった。人がまともに暮らす為の、ごく普通の空間だったが、プレイバシー皆無の雑多な大部屋に慣れてしまったカイジには、スイートルームのような錯覚さえ覚えた。その奥、寝心地良さそうなベッドに、誰かがバスローブ姿で座っている。背を向けていて顔は分からないが、一つだけ一発で分かることがあった。
女だ。
「な、これ・・・一体・・・・・・・。」
困惑するカイジに大槻はニッコリと頬笑み、
「まぁ、まぁ・・・言わんでも分かるだろ?実は、これは裏勤労オプションでな・・・ごく限られた人間にしか教えられんのよ。このオプション欲しさに、殺し合いでも始められちゃ、たまったもんじゃないからな。今回は特別!他言無用が絶対条件で、用意されたってことだ。」
事態を察知し、途端に顔を赤くしたカイジに、石和が付け加える。
「ああ、さすがにこの部屋にまでカメラは無いから安心しろよ。そんなもん見て、得する奴なんか一人もいないからな。・・・ここは一日個室券で使える部屋なんだ。だから安心していいぞ。」
女をあてがわれてさあどうぞ、と言われても、シャイなカイジはどうしたものか、入口でもじもじしてしまうばかりだった。
「ああ、カイジくん。この部屋が使えるのは1時間だけだ。それと、あの娘はヘルスとは言っても脱がせるのはNGだし、口だけだから。それだけ忘れないでくれよ。」
そうして、部屋に女とカイジだけが残され、扉は閉められた。
外では、班長ら3人がこみ上げてくる笑いをどうにか押えながら、元来た道を歩いていた。
「簡単に引っかかりましたね。」
「まぁバカだからな。」
「いもしない金持ちの為にハッスルして、ご苦労なこった。」
「よくあんな嘘、信じましたね?アイツ。よっぽど自分に自信があるんですね。」
「でも班長、アイツが勝てなかったらどうするつもりだったんです?」
「その時は、迷惑かけたな、残念賞だっていって誘い出すまでだな。」
はぁ〜、流石ですね。沼川が心底といった風に感嘆の声を漏らす。
「あの女、大槻さんが用意したんですよね?よく帝愛が部外者を入れることを許しましたね・・・?」石和が真剣な表情で続けた。沼川も質問合戦に加わる。「どんな手を使ったんです?」
それは大いなる疑問だった。いくら大槻が上から信頼されているといっても、多重債務者で地下という最悪の環境で労働に就いている身であることに変わり無い。
「石和、お前があればいいなって言ってた裏勤労オプション・・・本当にあるんだよ。」
「え!?」思わず驚きの声を上げたのは沼川の方だった。
「知ってるのはごく限られた人間だけだから絶対に他言するなよ・・・工場長以上の役職で、帝愛に定期的に上納金を納められる人間だけの裏勤労オプションだ。カイジには口だけと言ったがもちろん最後までヤれるこたヤれる。だが女は選べないし半年に一回、2時間だけ、しかも40万ペリカだ。だったらあと10万ペリカ分が余裕になるまで待って外で好きなだけ風俗に行った方がマシだろ?それが出来る人間しかこのオプションは使えないからな。・・・実際、部外者なんか極力入れたくないだろうから、こういうオプションがあるにはある、という事実だけ作っておいて、行使させる気は全く無いからこんな無茶な値段なんだろうよ。」まぁ、帝愛が外出を認めない人間もいるからって場合もあるかもしらんがな。大槻は最後にそう付け加えた。
それを受けて、石和が口を開く。
「え、じゃあ班長、そのオプション使えないじゃないですか。」
「俺は使えないから、他の奴から買ったんだよ。・・・70万ペリカで。」
「はぁ〜、なら今回はその裏勤労オプションの譲渡の譲渡って形になるんですか・・・?いいのかな。運良く・・・ですか、さっきから監視の黒服が一人も見当たりませんが。」
暗く冷たい廊下にはまるで人の気配がない。シンと静まり返って、不穏の影など微塵も無かった。
「このエリアに入れる人間は決まってるし、連中はとどのつまり、工事が予定通り滞りなく進めばそれでいいんだよ。瑣末事は地下モン同士でなんとかしとけって話さ。要するに、オプションを誰がどう使おうが、揉め事が起きようがなんだろうが、工事に支障さえなければ問題ないんだよ。」
まぁ、俺ら多重債務者に経費かけてもしょうがないですからね。石和が半笑いで呟き、大槻はそれを受けて苦笑した。沼川は依然、納得しかねるといった風情で質問を続ける。
「でも、なんでわざわざ女使うんです・・・?もったいなくないですか。奴をハメるんなら、他にいくらでも手が・・・」
「お前、この環境で特別に女あてがわれた上に、ペナルティまで犯したなんて聞いたらどう思う。」
「えっ・・・・・・そ、そりゃあ・・・ふざけんなっていうか、なんだよ、お前って言うか・・・」急に問われて、沼川はどうにか答えを導き出した。
「そうだ、普通は面白くないだろう?妬み、僻みなんかの感情・・・嫉妬、を通り越して恨みがましい感情を抱く奴もいるかもしれんな。」
「そ、そうですね。」
「負の感情やら印象やらを持たれるってことは、ソイツに対する同情心が無くなるってことだ。さて、そんな連中がボロ雑巾みたいにレイプされてるカイジくんを見たところで、カワイソウだの、ヒドイことをするだの、そんな感情が湧くかね?」
「無理ですね。」今度は石和が即答した。
つまりは、そういうことだ。話を打ち切ると、大槻はヒルのように笑いながら続けた。
「さて、あとは難癖つけて踏み込むだけだな・・・・・・。」

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