5.まど


 カイジの心地よい眠りは頬を張られて破られた。グラグラ揺れる視界にいくつかの人影を捉えたが、それが何を意味するのかすぐに理解が追いつかない。
「ああ、なんてことをしてくれたんだカイジくん・・・!」
睡眠の尾を引く霞んだ目でどうにか状況を確認すると、目の前には蒼白な顔をした大槻、横には全裸で泣き崩れる女、開け放たれた扉付近には呆然と立ち尽くす沼川と石和の姿。
「は・・・?」
わけが分からずどうにかそれだけを口にした。途端に、大槻が目を吊り上げる。
「は?じゃないだろうがカイジくん!この子は口だけだと言っただろう!」
怒鳴られてようやく我に返った。別れ際受けた忠告と、自分のしてしまったこと、いや、でも、その前に、何故この部屋に大槻がいるんだ?理由を問えば、規定の時間がとっくに過ぎているのに出てこないからノックしても返事は無し、仕方なく踏み込んだと言われ、枕元の時計を見て愕然とした。二時間が経とうとしている。
「おい、女、どういうことだ?」脱ぎ捨てられたガウン、シーツやその腹にこびりついた白濁、大量に投げ捨てられたティッシュくずを指さしながら大槻が問い詰める。女はうつむいてイヤイヤと頭を振りハラハラ涙を流すばかり、イラついた大槻が「お前が誘ったのか?え?どういうつもりだ!言わんか!え!」激しく詰め寄ると、今度はビクリとした後小さく震えだし本当に何も喋らなくなってしまった。見ていられなくて思わずカイジが間に入った。「いや、そういうわけじゃ・・・何も・・・どうということはなくて・・・」全然説得力が無かった。
「カイジくん、正直に頼む。調べればすぐに分かることだ。・・・包み隠さず、話してもらえないか。」
「や、あの・・・外には・・・出しましたけど・・・。」
大槻の表情に愕然としたものが混じった。
「カイジくん・・・こんなこと、言いたかないんだが・・・わしだって男だ、気持は分かる・・・だがな、ルールはルールだ。・・・あとで賠償金の話が出るだろう。」言いながら、大槻は顎をしゃくって沼川に女を退出させる。女は最後まで肩を震わせて泣いていた。
「え、賠償・・・?賠償って・・・どれくらい・・・?」青ざめるカイジに、大槻が渋い顔で返す。「わしも詳しくは分からんが・・・おそらく・・・200万ペリカかそれ以上か・・・。」
  200万ペリカ!?
「どうにかなりませんか!!」
「わしもどうにかしてやりたいが・・・こればっかりは・・・。」大仰にため息をついてみせる。
「あの、では、せめて・・・黙っていてもらえませんか・・・彼女とも合意の上で、ですし、その・・・。」
「カイジくん。この部屋には、確かに、監視カメラや録音マイクの類は、無い。この部屋には無いんだが・・・廊下にはある。わしらも慌てて踏み込んだものだから、扉を閉め忘れておった・・・。」
石和がハッとした表情でドアノブに手をかけ、ああでも今更だ、という猿芝居を演じて見せる。
「・・・上にはわしから話をしておく。情状酌量の余地あり、と判断してもらえるように言っておく。なに、なに、わしはお前さんの上司なんだ、それくらい当然だ。・・・だが、それ相応の代償を払うことになるだろうことは・・・覚悟しておいてくれ。」
それから早く服を着ろ、と言われても、カイジはすぐに動くことが出来ず低く呻きながらその場にうずくまった。

 班長らが部屋からはけて廊下に出ると、先ほどの女が憮然顔で待っていた。「早くしてちょうだい。」手のひらを突き付けて見せる。大槻はその手にペリカではない、日本円の現金が入った封筒を渡した。「御苦労さん。」ねぎらいの言葉を聞き流して女は包みの中を確認する。満足のいく内容だったらしく、薄く嗤った。
「簡単に落ちたわよ、あの馬鹿。」
嘘泣きで脹れた目で捨て台詞を吐くと、長居は無用とばかりにさっさと元来た扉を開けて姿を消す。
「全く、女ってのは金食い虫のズタ袋だな。」
その扉に、大槻が嫌悪を隠さず吐き捨てた。
「班長、いくら渡したんですか。」
「50万ペリカ分だ。」
「また高くつきましたね・・・。」沼川が気味悪いものを見るような目で大槻を見た。新たな集金ルート開拓の為とは言え、ここまでする意味が分からないのだ。
「生本番OKの女相手にセックスして、賠償金ですか・・・うまいこと言いますね。」そんなことどうでもいいような様子で石和が呟く。ただ大槻の粘っこいやり口を珍しがって眺めている、そんな感じだった。


 明けて翌日、休日を迎えたカイジは、青い顔のまま5段ベッドの中段でただじっと静まり返っていた。E班の部屋は6日ぶりの休みに沸き立ち活気づいているというのに、カイジの周りだけ通夜のような様子である。
そのうちに沼川と石和がワゴンを押して大部屋に入って来て、一気に祭りのような騒ぎになる。皆がワゴンに殺到するのを待ち構えていたかのように、大槻はカイジを手招きして隅に移動した。
「カイジくん。落ちついて聞いてくれ。話をしたんだが、帝愛側がおかんむりでな・・・賠償って話になったんだが、その・・・」懐から申し訳なさそうに書類を出す。「これがその、賠償内容なんだが・・・」
その紙キレを、カイジは大槻の手からひったくって食い入るように見た。





「・・・・・・・さ・・・んびゃく、にじゅう・・まん・・・?」
手の震えが止まらない。先日の勝ち金の60万ペリカなど充当したところで焼け石に水だ。
「それで・・・その分は、金利の免除が出来ないって話でな・・・つまり・・・普通にこの階層で働いていたら、とても払い切れる金額じゃない・・・上と話したんだが、」
「・・・・・・か。」
「え?」
「班長、か、金・・・貸してもらえませんか・・・」
「お、おいおい、カイジくん・・・!」
さあ仕上げだ。その一言を待っていた。大槻は上がりそうになる口角を必死に押さえつけて続けた。
「いくらなんでも、わしもそこまで身は削れんよ・・・!よく考えてみてくれ、わしも同じ多重債務者だ、余裕なんかありゃしないさ・・・!それに、途中でカイジくんが倒れたらどうなる?そういうリスクもあるからここじゃ貸し借りは基本的にしない決めになってる。」
「じゃ、じゃあ賭場・・・賭場を開いて下さい!お願いします!」
救えない。
どこどこまでも救えないクズだ。
しばしの押し問答の後、でも、とても払いきれませんよ・・・カイジが絶望的な一言を発すると大槻は腕を組み、黙然と苦悶の表情を作り、そして長い沈黙の後口を開いた。
「・・・・・・・・カイジくん。これは君次第だが、更に地下の階層に行かずに、しかも早く返済する手立てが無いわけじゃ・・・ない。どうするかね?」
なんですか、それ。涙目で縋り来るカイジに、この後、班長室へ来なさいとただそれだけを言って大槻はその場を去った。ワゴン組はあらかた小売を済まして一息ついた様子である。二人に目配せすると、素早い動きで片付けが始まり本日は早めの閉店となった。大部屋から出ていくワゴンの後を追って、フラついた足取りでカイジも廊下へ出る。その様子を見て、異変に気づく者など誰一人としていはしない。