+プロローグ+
まだ陽は高く、レンガ造りの街は太陽に焼かれ茹だるような熱を発していた。
皆、照りつける日差しを避けるように往来を行き来する中、その男は、一人その場所にいた。
手には大きめの麻袋を2つも提げ、きょろきょろと落ち着きの無い動作を繰り返しては、路地に入り、目的の建物へと姿を消す。しばらくして出てくると、麻の袋は少し膨らんで見えた。
真っ黒いスラックスに、真っ青なシャツをだらしなく着崩している様は一見マフィアにも見えなくは無いが、対照的に明るすぎる金髪が災いして客引きにしか見えない。
男は見るからに必死だった。
そして男は矢鱈に焦っていた。
今も、額を流れ落ちるのは冷や汗だ。
だが、くるくると奇妙に巻かれた眉は洒落にしか見えないから緊張感が無い。
男は、しばらくまたフラフラと街の通りを歩いては、別の建物へと姿を消した。
陽はまだ高く、南国の木々が時折風に吹かれなびいていた。
+++
「おい、サンジ。どこか具合でも悪いのか?」
俺が、まだ陽も高いうちに船へと戻り、甲板に上がってはじめに目に入ってきたのはトレーニング中のゾロだった。と、いうか甲板にいた本当の目的は俺の待ち伏せだったらしく、甲板に上がってすぐのトコロに仁王立ちになっていた。手にはバカでかい重りがついたバーベルを持ったまま、眉間には不快だと言わんばかりに深い皺が刻まれている。コイツ、ジジィになったら真っ先に眉間に皺が出るだろうよと思った。
「ぁあ?」
俺は出来るだけごくごく素っ気無く、返した。お前にかまっている暇なんかビタ一文ありはしないということを簡潔に分からせる為だ。
「チョッパーが、お前が診療所から出て行くのを見たって言ってた。俺がいるのに、何でって、落ち込んでたぞ。チョッパーには言えないようなことなのか?」
なんていうか、駆け引きって言葉を知らない男の言いようだった。
俺はハッキリ言ってその言葉にゲロ吐きそうになるほど驚き、動揺したが、あまりにもクソ剣士がストレートな物言いをするので、オロオロする前に呆れていた。
「あぁ・・・ちょっと、腹の具合が悪くてな」
咄嗟に嘘が口をついて出た。俺ってばサスガ。
ついでに演技でギロっとゾロを睨むと、クソ剣士は察したようでそっぽを向いた。
「何だよ、中で出すのなんか別に珍しいことじゃないだろ。ゴムなんかすぐ無くなっちまうからな。生のが、イイし。お前も、そうだろ?」
別段悪びれた様子もなく、むしろ何を今更になって言っているのかという感じだった。
全く、とんでもなく勝手な言い草だ。最も、今に始まったことでもないが。
「俺にだって、バイオリズムってゆーお前には無い繊細なモンがあんだよ、クソマリモ」
いつもなら俺の洗練された足技を一発お見舞いしてやるトコロだが、今は事情が違う。ともかく、一刻も早く適当に流してさっさと自分の要塞へ引っ込みたかったのだが、大概コイツはしつこかった。
「で、医者とはいえどこぞのジジィに、ケツ晒してきたってワケか?」
終始、楽しげな口調。随分楽しそうだな、ゾロ。特別そんなに楽しめるポイントなんて無かったと思うが。オレがヨソで露出すんのはそんなに喜ばしい事態なのか?しかも実際、晒してねぇし。俺はいい加減ウンザリしが、口には出さなかった。裂けたって言うものか。
・・・嘘、裂けるくらいなら言っちまうが。
「効率が良くて正しい処理の仕方と、気休めの薬を貰っただけだ。・・・お前だって、・・・オイ、お前船当番のクセにレディのトコに行きやがったな」
ゾロからは普段滅多にしない石鹸の匂いがした。というか、ゾロが動く度に漂う甘すぎる香水の匂いに鼻が曲がりそうだ。料理人として取り返しのつかないことになりそうな気がする位。
「お前に乳は無いからな」
ああ、コイツとの会話は会話にならない。しかも、なんて下衆な言い様だよ。
「・・・で、チョッパーは今いるのか?」
「ロビンとどっか行っちまった。他のヤツラも皆出払ってる」
「そうか」
「コトがコトだからな。お前、うまく誤魔化しとけよ」
「言われるまでもねぇよ」
それだけ言うと、俺はさっさとキッチンへ引っ込んだ。木造の、潮で痛んでキイキイ鳴るドアをキッチリと閉めて、やっとフーーーーー・・・っと長い息をつく。そのまま真っ直ぐ流しまでゆっくり歩き、突き当たりでさっと身を屈め、丸窓まで戻りコッソリと外を窺うと、マリモは汚い頭をボリボリとひとしきり掻いて、大欠伸を数回繰り返すと、船首へ移動してまたトレーニングの続きを始めた。
ここに来る気は無さそうだ。
それで、そのままの位置でコッソリと今日の収穫物で膨らんだ麻袋をソッと覗き込んだ。入っているのは、赤、黄、白、白、白、・・・色の錠剤、錠剤、錠剤。と、同じくらいの量の胃薬。
ものの数時間の間で、この島の海沿いにある3軒の診療所からあるだけ薬を掻き集めてきた。
薬を処方してもらうための口実はシンプルだ。
「クルーがイカれちまった、船医は今手が放せないから俺が代わりに使いで来た。このメモにある安定剤をあるったけくれ」
何の知識も無い輩が聞きかじりで書いたメモだ、玄人からしたら相当怪しい内容だったに違いない。真意の程を悟られていたかどうかは知らないが、結果は今こうして目の前にある膨らんだ麻袋が悠然と物語っている。
―――ここから二つ前の島で、夜の一時を共にした麗しいレディが俺に言った。
『アンタ、酷い顔してるね』
コトが終わって、レディは俺にそんな事を言ってきた。プレイに不満があったと誤解されたのかと思ったら、レディは違うわよ、と言って続けた。
『どうせ船の上じゃ、男のモノ咥えさせられてるんでしょ?』
俺がそうだ、と言うと、レディはさも可笑しいといった感じにケタケタ笑った。
『そりゃあ、いけないわね。そんな顔になるはずだわ』
『きっとオニイサンは、男相手は心底無理なタイプなのよ』
俺もそう思う、と同意すると、レディはニンマリとした顔つきになり、そして、こう言った。
『ねぇ、いいモノ、欲しくない?』
大丈夫、ヤバイもんじゃないから。
そう言い、ベッドの上に置かれたのは大量の錠剤の入った、何のラベルも貼っていない瓶だった。
レディはその中から何十錠か無造作に取り出し、俺に手渡すと、飲む飲まないは自由よ、でも耐えられなくなったら、飲めばいいから、と言って自分も飲み、またニヤリと笑った。
オニイサン、巧かったからサービスね、と言ってレディは消えた。
毒を喰らわば皿まで、レディからの贈り物に俺は喜んで同じように飲み干した。
・・・そして、世の中には、こんなに便利なものがあるのかと驚嘆した―――。
麻袋から取り出したブツを種類毎に分類して、ソースを熟成させる専用の甕壷に収めれば隠蔽は完了。流石のルフィも、どんなに腹が減っていても液状の物には手を出さないことはリサーチ済みだ。ルフィに見られたく無い、というよりは見つけてしまったら多分「ラムネだ!」とか言ってボリボリと猛烈に食いかねないから厳重に扱うことにした。キャプテンがラリパッパになったら目も当てられない。
作業が終わってすぐ、メリー号のメンバーがワラワラと舞い戻ってきた。丸窓の外は気づけば夕暮れ間近、間に合って良かったという思いと、考えていたよりも大変な手間がかかったが故の肉体的・精神的疲労から、情けないことに腰が抜けた。
笑える。
俺は震える膝に鞭打ってやっと立ち上がり、早速2錠を白湯で胃にぶち込むと、クルーを出迎える為にキッチンを出た。
その日の夕刻、ゴーイングメリー号は島を離れた。メリー号は、いや、少なくとも俺は、この島にはもう二度と立ち寄ることはないだろう。
手に入れるべきものは順当に手に入れた、あとは、このだだっ広い海上で一人寂しげに俺を見やる、チョッパーのフォローのことだけ考えていればいい。
同日の晩、ゾロが俺を求めてきた。求めてきたなんてカワイイもんじゃない。肉食動物が草食動物を捕食するのに似ているか、それ以上か。
ケモノだ、ケダモノだ。というか、モノノケだ。どちらにしろ、コイツには分類学上の“ヒト”とは別種の生き物だと錯覚させる何かがある。
あの、戦闘時の、狂気じみたオーラ。血に飢えたように澱む病的な目。肉を裂きたくて震える手。刀まで呼応したようにカタカタと音を立てる。それら負のオーラが全て色欲に塗り潰されると、魔獣というよりかは淫獣としか言いようのない姿になる。
「ヤろうぜ」
なんて直球勝負、ストレートな誘い文句だろうか。
お前は、今日陸で船当番をサボってまで麗しい(と予想される)レディを抱いてきたばかりだろーが。
いや、逆にそれが、下半身を疼かせているような気がする。もうしばらくレディとはヤれない、その事実がこの男を淫獣に変えるんだろう。だからって、オレに突っ込むことで折り合いをつけようとするコイツは相当にイカれてきているような気がした。
コイツとヤるようになったのは談合の末での事だ。
メリー号に乗って一月程経った頃だろうか。不寝番のウソップの為に夜食を作っていた俺に、ふらりとキッチンへやって来たアイツは言った。『ヤバクねぇか?』と。何が、と聞くと、『あんな露出狂の女が船にいちゃ、落ち着いていられねぇだろうが。』と返ってきた。マスのかきすぎで血が出そうだとも言っていた。ああいうのは好みじゃないが、女なら誰でもいいかと考えるときがあるとも言っていた。
レディに対する言い草にはカチンときたが、概ね俺も同感だったのは非常に遺憾だ。俺なんか本当に血が出たことがある。レディの柔らかさどころか恐ろしいことに肌の温度も思い出せない。
お互い、自衛の為に嵌め合いの仲になることを了承した。うっかり間違いなんか起こしたらルフィに半殺しにされるどころで済まないのは火を見るよりも明らかだ。だから自衛の為に了解した。防衛と言ってもいい。どちらかがヤろうぜ、と言ったらその気が無くても処理を行わなくてはならない。“処理”だ、“処理”。その行為において俺が負担する側になってしまったのは、後ろの経験があることをポロリと漏らしてしまった為だった。今思い返しても凄まじい失態だ。19年と言う短い人生の中でも5本の指に入る失敗だ。まぁ俺は麗しいナミさんを守る為ならどっちだろうがどう転ぼうが構わないが、ナミさんにこんなことを言ったらきっと殴られるだろう。アンタ何様だ、と。下僕のつもりなんだが、この想い、果たして伝わっているのやら。
穴が付いていればなんでもよくなってしまったマリモからのスバラシイお誘いに応じる破目になった俺は、入手したてで湯気が出そうなデパスとセルシンを合わせて4錠ぶっこんで胃薬で保険をかけ、“戦場”に向かった。
狭っくるしくて埃っぽい格納庫に、二人分の粘っこい息が充満してるみたいだ。
自分の着ていたシャツが別の生き物みたいに自分に絡みついてきて鬱陶しい。
「入れるぞ」
飾り気も無く、ゾロがそう宣言する。
「オイ、お前、今日娼館に行って来たんだろ。病気、貰って来てねーだろうな」
俺は咄嗟に言った。ゾロが何の支度もしていそうもなかったからだ。貰い物の淋病や梅毒で苦しむのだけは勘弁だ。
「ぁ?オマンコ女のパンパン豚には、俺の生チンポは勿体無いだろ」
なんつー言い草だ。他にもっと言い様があるだろと言おうとしたが、尻中イッパイに広がる異物感に俺の言葉は揉み消された。
ろくに着物も脱がずに繋がる行為。作業と言ってもいい。鍵と鍵穴のような、それよりももっと無機質な嵌まり方だ。そして鍵と違うのは、例え嵌まったとしても、何の扉も開かないという救いようの無い事実。
ゾロはせっせと腰を動かしていたかと思ったら、ふと動きを止めて中途半端にはだけた俺のシャツの裾を掴むと、前で俺の手をグルグルと拘束した。コイツは一体何がしたいんだろう。俺は頭がボンヤリとし始めていたから、抵抗は特にしなかった。
ただ鬱陶しいとは思う。
それよりももっと鬱陶しいゾロは、しつこいくらい自分の存在を誇張するように再び、今度は後ろからねじ込んできた。
どうやら昼間の医者をネタに卑猥な隠語を発したりして俺をいじっているが、俺はどうにも集中力が欠落したのか言葉が言葉として認識出来ない。なんか遠い。聴覚も、思考も、皮膚感覚も、全部が遠い。ついでにほんのりとだが勃ちも悪くなっているような気がする。更に吐き気がするのは気のせいか?でも体のあっちこっちが熱くて痛くて、それがリバースを辛うじて抑えてるって感じか。
俺はセックスの最中に会話を楽しむタイプの人間じゃないってのはゾロも知っているから、このクソ剣士は独り言になると分かっていながらそれでも延々と言うのだ。今この瞬間も、後ろだった俺をまたひっくり返して面つき合わせて、何か馬鹿の一つ覚えみたいに、ろくに回りもしない呂律を総動員してヘラヘラ笑ってるんだぜ。コイツ、正真正銘のアホだ。
こんなアホのやることにまともに付き合う気なんてあるはずもなく、俺はただ揺さぶられながら目の前の阿呆が満足していることを願った。
「・・・うっ・・・くっ・・・」
ゾロの、微かな声が口の端から漏れる。男相手に何が「くぅ」だ、俺はこみ上げる笑いを噛み殺すのに物凄い苦労を強いられた。そのせいで微妙に歪んだ俺の顔を、快楽で自制を失ったと勘違いしたのだろう。得意気な顔になると、また余計に腰を打ち付けてきた。アナルセックスはヴァギナと違って奥まで突いてもあまり意味が無いってことを知っていて、それでも俺を女だと思い込みたいのか、夢中になると足を掴んで深々と差し込んでくる。いや、刺し込んでくる。
あんまりグリグリ突っ込んでくるので、仕舞いにはそのうち直腸がピストン運動と一緒に飛び出してくるんじゃないかとハラハラした。
それでも、自分のモノはふるふると歓喜に震えて、ゾロの熱坑を受け入れていた。今この瞬間も、異物を埋め込まれた尻が、ヂクッ、と熱くなる。ムズ痒いような、熟れ過ぎて痛いような、不快とも悦楽とも取れるような奇妙な感覚が仰け反る俺の咽にまで這い上がってきて、頭の中がぐちゃぐちゃっとなって蕩けた。
あ、あ。
あ、あ、あ、あ。
あぁ、チクショウ、クソッタレ。
なんだかんだ言って、気持ちイイもんは気持ちイイんだよ、クソが。
あーーーマヂで気持ちいい。出ちゃいそう。
激情に突き動かされるままに、俺は自分のモノに手を伸ばした。この状態で今更恥も外聞もあったモンじゃない。目の前でオナニーショウでもなんでもヤれる位の切羽詰り様ったら、不健康の極みとしか言いようが無い。
手首は拘束されてはいるが、伸ばせばどうにか届く。ようやく触れたのと、ゾロの手が伸びて俺の手を払い除けるのと、ほぼ同時だった。
「後ろだけでイケよ」
なんだそりゃ、お前は王様か。
言おうとした瞬間、ゾロが一際大きい動作で俺の中を抉った。
何回かそれが続くと、前立腺特有の、擦れる感触の鈍い痺れ、が、キテ、あーもースゲー最高、俺はあっけなく爆ぜてしまった。
「・・・うっ・・・は、はぁ・・っ・・・・」
固まっていた体中の筋肉が、糸が切れたように一気に解れて弛緩する。手に自分の生暖かい感触を感じて、もうこのシャツは捨てないとダメだな、と思った。
見上げると、ゾロは嘲笑う様に俺を見下していた。クソ剣士はまだまだ余裕があるらしい。律動は相変わらず続いている。俺は、コイツ遅漏なんじゃないかと疑った。
いくら擦って何度出しても、コイツは満ち足りると言うことが無いんだろう。
この一突きで、コイツの性欲が一月分賄えたらいいのにと下らない洒落が思い浮かんだ。
定量を知らない男は、死ぬまでこうやって排泄に似た射精を繰り返して果てていくのか。なんて哀れなんだろう。それに付き合ってやっている俺のほうがもっとカッコ悪い。
だから、こうやって内臓に毒を仕込んで対抗するしかないじゃないか。オレを喰らう毎に、お前も内側から腐っていくといい。
そして大分経ってからヤツは俺の中に全部出した。ホントに何の遠慮も配慮も無く全部出した。医者の提言があったから、何してもいいと思ってるんだろう。
俺はといえば、明日の仕込みと、これが終わったらドラール何錠飲もうかとかしか頭に無かった。
薬の無茶飲みをするようになってから、体の各所は異常だというシグナルを頻繁に出していたが、俺はそれらを完全に無視した。
吐き気を催す自分にムカつく。
頭痛が消えない自分にムカつく。
矢鱈に咽が渇く自分にムカつく。
手足がおぼつかないなんてのは論外だ。
たまに舌までオカシクなる時がある。
気合だ、気合が足りねぇ。
こんなモン、気の入れようでどうとでもなる。
今日は馬鹿に天気がいいので、皆食事を終えるといそいそと甲板へと出て行った。脳が蕩け出すほどの暑さではないが、陽の下で日がな一日ボーっとしていたら流石に日射病で倒れるだろう。今日は早めにアイスティーでも淹れたほうが良さそうだ。そうだ、ミントがだいぶ成長したから、それも添えよう。
そんなことをボンヤリと考えながら、咽元にこみ上げて来る悪心に一人うーうー唸りつつ昼食の後の皿洗いをしていると、キッチンにふぃっとウソップが戻ってきた。それは別段珍しい事でもなんでもなかったが、そのうちになんだか背中に強烈な視線を感じて俺は思わず振り返った。
「どうかしたか?」
「あ〜サンジ、なんだ、ホラ、たまには、皿洗いの手伝いでもと思ってな?」
ウソップは手足をバタつかせながらそう言った。
怪しすぎる。
なんだ、その如何にも『企んでます』と言わんばかりの身振り手振りは。普段、あれだけ流暢にホラ話がスラスラ出てくる男の取る態度じゃないだろう。
「嘘の名手にしちゃ、随分下手な芝居だな」
俺は苦笑しながら言った。
そうしたら、ウソップは一つも笑わなかった。
「お前を見ると、いつもチョッパーが泣き顔になるのは知ってるだろ」
少しの沈黙のあと、何の前フリも無く、イキナリ単刀直入に、キタ。
よっぽど咽から出かかっていた言葉なのか、かなり前のめりな口調だった。
「どういう事情だかなんかよく分かんねぇけど・・・あんまりチョッパーに、可哀相なこと、すんなよ。アイツは、人間じゃないってことを、俺たちが考えている以上に気にしてんだぜ。そんで、医者ってことを、とりわけメリー号の船医ってことを、誇りに思ってんだぞ」
「知ってるさ」
嘘だ。俺は今嘘を吐いた。本当の意味で“知って”いたら、多分、船医を無視して他の医者を訪ね回るなんてヒドイ裏切り行為はしていない。
「チョッパーがコッソリ泣く度に、献立にチョッパーの好物入れるだろ。アレ、卑怯だぜ。姑息だし」
「ああ」
「…お前、ノイローゼか何かなんじゃないのか?」
またまた、ズバッとキタ。まるで容赦がない。
「ぁあ?タワゴト言うなよ、長っ鼻」
俺にはまだ笑うだけの余裕があった。あぁ、そうだ、確かにこの薬はノイローゼだかガイキチだかなんだかの為のモンらしいが、俺にしたら本当の名も知らぬ麗しいレディからの贈り物を賜っているにすぎない。
「・・・お前、ゾロの相手は荷が重過ぎるんじゃないのか」
とうとう、この長っ鼻は言ってしまった。顔にまるで似つかわしくないその言葉を、クルーの誰もが認識していながら、決して触れなかったその核心の口火を切ってしまった。
その瞬間、キッチン内の温度が2,3度落ちたように感じた。
俺は何も言わなかった。ウソップの困窮しきった顔が単純に面白かったし、答える必要性を感じなかったからだ。
「ねぇ〜、サンジくん、咽渇いちゃったわ。なんでもいいから、冷たいもの頂戴」
「はぁ〜い、ナミすわぁん!!今すぐお持ちしまっす!!」
唐突なナミさんの登場に、俺はもう自分でも驚くほどの早さでサッと対レディモードに切り替えた。目の端に、口惜しそうなウソップがチラと見えたが、悪いが無視させてもらうことにした。
あぁ〜、どうしてレディが一人部屋にいるだけでこんなにも空気が和むのだろう。
その真理を解明すべく、真剣に考えながら紅茶の葉を棚から取り出すと、ナミさんはそんなの待ってられないわ、早く早く、と急かすので、不本意ながら冷蔵庫からレモネードのストックを渡すと、
「サンジくん」
突然冷め切った声で名を呼ばれた。その零度にハッとして目を合わせると、俺の顔を真正面から見据えるナミさんからは全身に立ち上るようなオーラを感じた。その有無を言わさぬ迫力に俺は「はィ?」とかなり素っ頓狂で間抜けな声を上げてしまった。
「もう少しだけ、待っててアゲル」
不敵にニヤリ、と笑うと、ナミさんはそれだけ言い、洗いたてのグラスを手にとって颯爽とキッチンを出て行った。
それに続いてウソップも慌ててキッチンを出て行った。まるでナミさんと一緒でなけりゃ一生この部屋から出られない、みたいな慌てようで出て行った。
参った。
いまだヒリヒリと焼きつくような陽の光が丸窓から入ってくる中、俺は独り呆然と泡まみれの皿を見つめていた。
『・・・お前、ゾロの相手は荷が重過ぎるんじゃないのか』
それで、何度も何度もウソップの言葉を反芻してみた。
荷が重過ぎる…って言葉はなんか違う、と思ったが、それに替わる適当でタイムリーな言葉が出てこない。確か、どこかで、どんぴしゃりの言葉を聞いたことがあるような気がする。思い出そうと記憶の網を手繰ってみるが、くだらないガラクタが釣れるばかりで、肝心な事は何一つ思い浮かばない。
うんうん唸っていたら、甲板から「サンジ、おやつくれ!」というルフィの底抜けに明るい声が飛んできて俺の思考を粉砕した。
「もうちょっと待ってろ、クソゴム!」
俺はイライラしたまま、塩抜きが終わったハムを乾燥させる為に干し肉専用加工庫の扉を開けて・・・一切の食材が跡形もなく消え去っているのを見て、飛び蹴りの姿勢のまま甲板に飛び出した。
|