■第二章 ・航海士、ナミ いつまでも続くかと思わせる様な航海、ゴーイングメリー号の船上。 其れに、次に気付いたのはナミだった。 「おーい!メシだぞう!!」 いつものようにサンジは朝食を作り、全員に号令をかける。 海上の朝は早い。 日の出と共に強烈な直射日光と、海面で乱反射する陽の光が船内に差し込み、とても寝続けていられるものではないからだ。光と影が明瞭に分かれる海上では、ヒトである以上、明かりのあるうちに仕事を済ませねばならない。 だから、ゾロの眠りっぷりだけは例外と言える。今朝も寝坊して起きてくるに違いない、フィルターをギッと噛みながらサンジは白煙を一つ吐いた。 散漫な思考をめぐらせているうちに、爽やかな朝を蹴散らすような靴音がキッチンへと近づいてきた。この音が一日の始まりの合図でもある。わらわらとクルー達が集まると、あっという間にキッチンは笑いと怒号の錯綜する喧しさに包まれた。 そして、やっぱりゾロの姿は無かった。 「おいウソップ、クソ剣士はどうした?」 「ああ、ありゃあダメだ。いくら叩いたって起きやしねえ。ほっとけ、サンジ。」 「二度手間になるから嫌なんだよ・・・ったく。」 開くはずも無いドアを見つめていると、憤りと安堵が混じったような奇妙な感覚に襲われた。 下らねえ下らねえ下らねえ。 同じ単語を何度も何度も反芻してみる。 下らねえ下らねえ下らねえ・・・。 終わらないループを断ち切ってくれたのはナミだった。 「どうしたの?サンジくん。ご飯にしましょ?」 「あっ、テメエ!そりゃ俺んだ!」 「むごご。うううむむ!!」 「くらえ!必殺タバスコ星!!」 「ぶほおぉぉぉう?!!!!!」 「ウソップ!食いモンを粗末にすんじゃねえ!!」 「ルフィに言えよ!」 「んごごんふう!」 「落ちついて食えねえのか!このクソゴム!ナミさんのまで手ぇ出しやがって!」 「あっ、ルフィ、俺の分まで!!返せよ!」 「・・・賑やかねぇ」 サラダをつつきながらロビンがふう、とため息をつくと、傍らのナミににっこりと微笑みかける。 せめて食事くらいは優雅に楽しみたいと常々漏らすナミの表情は苦いものになっていた。 「まったくねぇ・・・ん?」 「あら、どうしたの?航海士さん」 「え?あぁ・・・いや、別に」 スプーンでスープをすくい、一口口に運んだところでそのまま動きが固まっていた。もう一すくいして味わうと、やはり小さく首を傾げる。 そんなナミの様子に目ざとく気付いたサンジは、いつもの猫なで声をかけた。 「どうしました?ナミすわ〜ん。何かお気に召さない点でも?」 「ん?いや、ちょっとね・・・なんか、いつもと味付けが違っているような気がしたから・・・」 「えっ、そうですか?」 「全然変んねえぞ。サンジのメシはいつもうまい!!」 ルフィが、両頬いっぱいに肉を詰め込んで言う。 「お前は何食ってもうまいしかいわねえだろが!」 ウソップの一言にししし、と笑うと、またがつがつと貪り始めるルフィ。 ドロドロの地獄絵図と化した食卓は、綺麗に盛り付けることに無意味さを感じさせるほど無残なものだった。サンジは、やる気が削がれそうになるのをどうにかこらえると、空いた皿をかき集めてシンクへと運ぶ。置いたままにしておくと、エキサイトした船長の腕が当たって割れたりするのだ。 「でも、サンジの飯、ホントにうまいぞ」 「ほんと、腕のいいコックさんね」 チョッパーとロビンが遅れて話題についてくる。 「この香草が気になるのかしら?」 ロビンが言うと、ナミはにっこりと笑って、 「ううん、美味しいんだけどね」 とだけ言って喧しい食卓へと戻っていった。 ・キッチンにて 「おーい、サンジ、たまには俺も後片付け手伝うよ・・・って、何分かり易く落ち込んでるんだよ」 キッチンに入ったウソップが見たものは、洗い物もそこそこに机に突っ伏しているサンジだった。 「なんだなんだ、どうした?」 「ウソップ・・・だってよ・・・ナミさんが、オレの料理不味いって・・・」 サンジは今にも泣き出しそうな顔で、シオシオに萎れた菜っ葉のように言葉を搾り出す。 その様子を見たウソップは、またサンジの病気が始まったという顔をして、テーブルの向かいに腰を下ろした。 「あぁ?あんなワガママ女の言う事なんか一々気にすんなよ」 「おい、ナミさんを悪く言うなよ!」 「へーへー。分かったよ。・・・それに、別にナミは不味いって言ってたんじゃなくて、香草が気に入らなかっただけだろ?」 「前にも使ったことあるぜ?あの香草。あぁーーーやっぱり味付けがダメだったのか・・・」 「おいおい、そこまで考えるか?フツー。自信持てよ、お前は一流のコックだよ」 「・・・・・・おう」 ふと思い出したようにサンジは煙草に手を伸ばす。だが、気もそぞろでなかなか火が付かなかった。 ウソップは苦く笑うと、まったく困った奴だよ、というふうにフッと息を吐いた。 「でもなあ、ウソップ・・・たまに、さ。たまになんだけど・・・」 「うん?」 「時々、自分の感覚と、実際の味にズレがあるときがあるんだよなあ」 「んん?機械じゃあるまいし、そう完璧にいくわけないだろ。そうだなぁ・・・煙草なんて吸ってるから、舌が馬鹿になってるんじゃねえのか?」 「料理中は絶対やらねえよ。何か、オレに禁煙しろと?」 「はは、どうせ出来ねえだろ。・・・神経質になりすぎじゃないのか?」 「あー・・・まー・・・そうなの、かなぁ」 ガチャ。 サンジの呟きが終わるか終わらないか、その瞬間にキッチンの扉が開かれた。 「あ、ラブコック、メシくれ」 現れたのは、気だるげに眉根を寄せたゾロだった。 「ゾロ、やっと起きたのか」 「ゾロ!テメエは今頃起きてきやがって・・・」 先程の萎れた様は何処へやら、元気いっぱいにサンジは噛み付いた。 「喚くなよ。残りものくらいあるだろ」 「食事は全員集まるのが規則だろ。だから何もねえよ」 「あーじゃあオレが適当にやるよ、それなら文句ねえだろ?」 「ダメだ!何されっか分かったもんじゃねえ。それに、一回で使える食材の量は限られてんだ。昼間まで我慢してろ」 「うるせー男だな。小姑か、お前は」 「なっ!この野郎!表出ろ!」 「お前のヒステリーなんぞに付き合ってられっかよ」 「やーめろよお前ら、朝っぱらか、ら・・・」 ウソップの体が、視界から少しずつ崩れ落ちていく。 原因はすぐに分かった。 振り上げられたサンジの足と、ゾロのコブシが間に入ろうとしたウソップにクリーンヒットしたのだ。 メキっという音が鳴るほどだったから、もしかしたら骨がイッたかもしれない。 「ウソップ!」 「おい、ウソップ、しっかりしろ!」 すぐにチョッパーが呼ばれて事なきを得たが、サンジとゾロの二人はだいぶ年下の船医に厳重注意を受けた。 そして、結局、この日ゾロは朝食にありつけなかった。 何気ない日常。 常に側にある日々。 誰もが永遠ではないと解っている。 この船を後にするのは、夢を叶えた時か、諦めた時か。 ・・・それとも。 ・考古学者、ニコ・ロビン ナミが朝食に首を傾げてから5日後。終わりの見えない航海、ゴーイングメリー号の船上。 其れに、次に気付いたのはロビンだった。 「精が出るわね、剣士さん。こんな時間までトレーニング?」 「―――っ!?なんだ・・・まだ起きてたのかよ」 「ええ、星がキレイだから、誘われてね」 前日、激しい嵐のあった翌日とあって、空はスッキリと晴れ渡っていた。濃紺色の空に銀や金に光る星は月と呼応するように瞬き、音の無いメロディを奏でているようで見る者の心を和ませる。 波音は少し荒いが、みかん畑の葉の擦れる音が混じり、色の無い夜に華を添えているようだ。 その中で、ロビンのスッキリとしたシルエットはとてもよく映えていた。 だが、その姿を美しいと認識するより先に、ロビンを信用しきれていないゾロは、足音を殺して近寄ってきたその人に殊更、毛を逆立てた猫の様に神経を尖らせた。 甲板後方はほぼゾロのトレーニングスペースとなっているのは周知の事実だし、星が見たければ船首の方が何倍も眺めが良いはずである。それを承知でやってきたロビンの真意が見えないのだ。首だけを動かし、チラとだけ振り返る。 その様子にロビンは諦めたようにため息をつくと、手すりにもたれた。 「ふふ、安心なさいな。そんなに警戒されなくても、何もしやしないわよ」 「どうだかな」 短く毒を吐き捨てると、早くどこかへ行けとばかりに邪険にした。サンジがこの場にいたら今頃後頭部にケリが飛んできているだろう。だが今はいないのだから構うこうとはなかった。 このところ、ゾロは何かに取り憑かれた様にトレーニングに励んでいた。ロビンという船員が増えたことで、思うように欲望が吐き出せていないのだ。ビビがいた頃と同じように・・・いや、それ以上に神経を研ぎ澄ませ、サンジとの時間を作らなければならないような生活が続いていた。 濁った欲求を払拭するように体を苛め抜くゾロの姿は、今のロビンにはどのように映っているのだろうか。 「あなたとコックさん、同い年なんですってね。」 「・・・?あぁ」 何を突然言い出すのか、まるで真意が見えない。つくづく、やりにくい女だと内心思った。 「彼、とってもカワイイわね。何にでも一生懸命で、一途で・・・」 「何を言い始めるつもりだ?」 ゾロの疑問は、だが理性によって辛うじて声になることはなかった。 「ふふ、私、ああいう子好きよ」 「はっ・・・だったら俺じゃなくて本人の前で言ってやれよ。アイツ喜ぶぜ?」 「・・・本気で言っているの?」 「ぁあ゛!?」 「それとも、自信があるのかしら」 段々、何に怒りを覚えているのかも分からないまま、ゾロはその表情に怒りを露にしていった。 「ふふ・・・まあいいわ。・・・ねぇ、あの子、何か持病でも持ってるの?」 はぁ?今度は何を言い出すのか。『持病』という言葉にすっかり毒気を抜かれたゾロは動揺を隠しつつ、「あんな凶暴なコックに持病なんてあってたまるか」とだけ短く答えた。 しかし、案外にロビンの顔つきは真剣だった。 「凶暴かどうかなんて関係ないわ・・・そう、やっぱり知らないのね。もしかして、と思ったんだけど」 「何の話だ?」 こうも何かを含んだような言われ方をされたら、気にならない者はいないだろう。ゾロはすっかりロビンのペースに嵌められていた。 「あら、だって、このところ、それは熱い視線で見つめているから」 さらっと言うロビンに、 「なっ・・・俺が!?」 ゾロは思わず絶句していた。 「そう」 「誰、を」 「コックさんを、よ」 貴方気付いてないの?そう問われてゾロは大いに慌て、混乱した。 失笑されたことより、サンジの話題をふられたことで狼狽してしまっているのだ。 「んなわけあるかよ・・・」 ぶつぶつ、ごにょごにょと言葉を濁すしかない。 「そう・・・私の思い過ごしなら、それに越したことはないのよ。お邪魔したわね」 それだけ言ってロビンは一人勝手に納得すると、最早この場は無用とばかりに立ち去ろうとする。 「あっ・・・おい!!」 引き止めたところで、何を問うつもりなのか。何も言えずに黙ってしまうと、 「・・・コックさんに、夜更かしは体に悪いと伝えておいて」 細く白い指で台所を差すと、そのまま振り返らず去っていった。 いつかのように一人取り残されたゾロは、ロビンの言葉がいつまでも引っかかっていた。 ・剣豪、ゾロ ロビンのやつ、一体何考えてやがる。 ゾロは早朝からずっと、同じコトを繰り返し考えていた。 珍しく深い眠りにつけなかったゾロは、これまた珍しくクルーの誰よりも早く起きて、所謂『朝メシ前』のトレーニングを行っていた。いや、行っているとは言い難い。いつも行っている動作をなぞっているだけで、まるで中身が伴っていないからだ。 なんであんなこと言ってきたんだ? オレが、サンジを、見つめてるだぁ? シャレにも笑い話にもならねえ。 大体、最後に言い残した言葉が気に食わねえ。 『第三者の目は、何よりも正しいものよ』 なんだそりゃ。 大体、サンジに持病?持病?アイツが? ・・・女へのだらしなさは持病と言えるか。いや、言えるのか? わからねえ。 なのに、なんだ、この腹の奥がスッキリしねえ感じは。 ゾロはイライラとした面持ちで剣を降り続けていた。うっかりしたら船を破壊しそうな勢いだ。それを鋭敏に察してか、ウソップがひょっこり顔を覗かせた。 「おお、ゾロ珍しいな。なんでこんな早く起きてんだ?」 「ああ・・・ウソップか。お前こそ、なんで?まだ夜も明けきってねえのに」 「オレは昨日見張り番だったんだよ。ああーーーーねみい」 顎が軋むほど大あくびをすると、毛布を畳みながらウソップはゾロに近づく。それでゾロは初めて気付いた。そういえば、昨晩は――今もだが――よく冷えた。冴え渡って、だから星もよく見えた。 「お前、昨日、ロビンと何か話し込んでたな。やっと気を許す気になったのか?」 「ぁあ゛!?」 あまりの剣幕でゾロが迫るので、ウソップは大げさに体を反らせておののいた。 「なんだよ、そんなキレるこたねーだろ。素直じゃねえよなあ」 「良い様に丸め込まれやがって。俺の方こそお前たちの神経を疑うぜ」 「お前も頑なだよなあ。まあ、分かんねえけど・・・少なくとも、考えてたほど悪い奴じゃねえよ」 「ふうん」 鼻でバカにしたように笑うゾロにウソップは短く苦笑すると「まあそう構えるなよ」とだけ言った。 「じゃ、俺朝飯までちょっと仮眠取るわ。ふわああ〜〜〜・・・」 ふと気付けば、水平線には青白い光が溢れそうに漏れていた。また“一日”というサイクルが始まろうとしている。 そうだ。コイツなら。 ゾロは思った。 コイツなら、何か知っているかもしれない。 だが、どうやって聞く?何を? 「待て!ウソップ!」 考えるより、口は勝手に動いていた。だから、しまったと思った。思ったが、もう口に出してしまったのだからしょうがない。ゾロは、誰に言われたわけでもないのに一人勝手に観念していた。 「あ〜?何だよ、俺ションベンしたいんだけど」 「すぐに済む。聞きたいことがある」 「なんだあ?改まって」 どうやって聞く?大体、何を? ・・・考えるのも面倒くさいな。 「あのな、サンジのことなんだが・・・」 「ああ、どうした?」 「サンジな・・・」 「?」 眉間に皺を深く刻み込み、何かを振り絞ろうとしているゾロは、ウソップには奇怪に映った。 「サンジは・・・」 ゴクっ。ウソップの咽が鳴る。 「サンジは、持・・・あるのか?」 「はあ?痔?」 肝心のところでトーンが落ちてしまったせいで、ウソップには“痔”という単語しか浮かばない。 「痔ぃ?なんだ、サンジ痔なのか??でもそれそんな顔して言うコトか??」 「いや、そうじゃなくて・・・」 だが、何故だかどうしても言えなかった。 「いや俺そんなこと知らねえよ、本人に直接聞けばいいだろ?痔かどうかなんて」 変な奴だな、そう言うと、木製のドアが軋む音と、高らかな靴音が甲板に響いた。 サンジだ。 姿を見なくても分かった。 「おい、何やってんだお前ら?・・・って、なんて顔してんだよ」 ひょいと顔を覗かせたのは、思った通りサンジだった。 「いや、ゾロが、サンジは痔なのかって言うんだよ。・・・サンジ、痔なのか?」 「はああ?何言ってんだ??」 「違う!そうじゃねえよ!」 慌てて否定するが、何と言ったものか、ゾロは口をパクパク動かすだけだった。サンジは黙って激しく睨んでいる。 「おおお、オレ、もう巻き添えになるのはゴメンだからな!仮眠取ってくる!」 ウソップはさっさとこの場を棄権すると、足早に甲板を後にした。 これで、残ったのは、居心地の悪いゾロと、静かな怒気を纏ったサンジ。 「・・・テメエのがデカすぎるから、オレの具合の心配でもしてくれてんのか?」 サンジは、酷く歪んだ目でそう言った。 「違う、ウソップの耳が悪いんだよ」 ゾロは諦めたように吐き捨てた。サンジはふうん、と鼻で笑うと、何時もの様にシャツの胸ポケットをまさぐる。だが、それはジャケットの中だったのを思い出す。フィルターを食むはずだった舌は、代わりに舌打ちした。 「おい、ゾロ。今日オレ、見張り番なんだよ」 「・・・ああ」 「あの島での“約束”、忘れたわけじゃねえよな?」 もちろん、そんなのすっかり忘れていた。 だが、ゾロはちょうどいいと思った。確かめたいことがあるのだ。 「構わねえって言ってんだろ。好きに突っ込めよ」 ゾロは中指を立てて小さく“FUCK!!”と呟いた。 「へええ。いい度胸してやがんな」 水平線に太陽が昇る。青みを帯びた光が、徐々に薄い赤を纏った色に変わっていった。 もう昇りきるまでそう時間は掛からないだろう。つまり、サンジの仕事が始まるまで、そう時間は残されていない。 それに、こんな言い合いは無用だ。 「12時キッカリだ。ちゃんと、来いよ?よく洗ってからな」 薄笑いを浮かべて、サンジは去って行った。 優しくシテくれそうもないなと、ゾロは思った。 |
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