■第三章 ・分岐点 ロビンに昨日あんなことを言われたからじゃない。 そうは思いつつも、心中を的確に付かれたようでゾロは内心焦っていた。 違う、違う、違う。 しつこく追ってくる残像を払いのける様に格納庫の扉を開けると、金髪の男が部屋のド真ん中に静かに立っていた。口に煙草を咥え、片手に、ワイングラスを持って。 「よお。ホントに来たのか」 サンジにしたら、可笑しくて可笑しくて堪らなかった。実はコイツは、ずっと掘られたがっていたのだろうか。そう思うと、また可笑しくて可笑しくて堪らなくなってどうにも困った。 「流石に、酒でも飲まなきゃヤれねえか?」 「はっ、笑わせんな。飲みてえから飲んでるだけだ」 「ふん・・・さっさとヤろうぜ。オレは溜まってんだよ」 ゾロはそう言うと、本当にさっさと、しかも乱雑に服を脱いだ。 所詮、コイツに色気を求めるのは土台難題か。サンジは苦く笑うと、フィルターをギッと噛んだ。 「おいおい、そう不貞腐れる奴がいるか?ちょっとは楽しめよ」 「ああ、オレは思いっきり楽しんでるぜ?じゃあ、でっかくしてやるから服脱げよ」 ハイハイ、と両手を挙げると、サンジもそれに従ってその躯を覆う布切れを剥がし取っていった。 白く細く、薄い肢体。 浅黒く、荒々しい肢体。 何もかもが両極端だ。 ゾロは思った。 一体オレは、コイツの何に妥協点を見出したのだろうか。今となっては遠すぎて何も思い出せない。サンジもそうだろう。もう、何もかもが遠すぎるような気がする。 「さて、剣士サマは、どうしてくれるのかな?」 「フェラチオ、してやるよ。立ったまましゃぶられんのが趣味か?そうじゃないなら、座れよ」 「趣味、ねぇ・・・」 そう小さく呟くと、サンジはニスを丹念に塗られた板壁に背を預けた。立ったまましゃぶられんのが趣味だ、そういうことらしい。 ゾロは素直に跪いた。サンジは目を剥いた。珍しいというより、気持ち悪いという方が先に立った。 「お前、何企んでる?」 「別に。何も」 短く切るとまだ何の反応もないソレに手を沿わせて舌を這わせた。 サンジは考えるのが面倒臭くなって目を閉じた。 まあいいか、気持ちイイし。 それに、いつまでも考え事をしていると何時まで立っても大事なトコロが勃たない。 男同士だから、どこをどうされれば脳幹に響くかよく分かっている。先端を吸い込んで玉を揉みしだけば、サンジの唇が震える。竿を扱きながら嫌というほど舐め上げてやれば、サンジの咽から歓喜の声が漏れた。 そろそろかな・・・。 張りつめかたから、ゾロは絶頂の余震を感じ取ると、何もかもを吸い取るように吸い上げた。 「あっ!?ゾロ、ヤバイから、ちょっ・・・」 さっさとイっちまえ。誰が好き好んで、お前のなんか舐めるかよ。さっさと、口ん中に、出せ。 俺が今日、用があるのは、それだけだ。 サンジは、躯を支えることも叶わず崩れ落ちる様にゾロの硬い肩に手を付くと、数度腰を躍らせ、勢いよく吐精した。ゾロは、押し付けられた苦しさに眉も動かさずそれを冷静に受け止めた。 ごくっ、ごくっ・・・。 ゾロの咽が不規則に蠢いたのを、サンジは漏らさず感じ取った。 「おい、ゾロ、今・・・」 サンジの声が震えた。 ごっ、ゴクン、ごくっ・・・。 「まさか・・・飲んだ、のか?」 信じられない、といった風にサンジの目は見開かれていた。同じように膝を付いて、ゾロを見据える。 ゾロは真剣な目つきでサンジの白濁を嚥下していた。 時折、うんうんと頷いては、う〜んと首を捻っている。 「おっ、お前・・・飲んだのか!?お、オレのを?」 ゾロはサンジの問いには応えない。代わりに、小さく独り言を漏らした。 「・・・う〜ん?ん・・・やっぱ、よく分かんねえな」 「ななななな、何で飲んでんだよ!」 格納庫で大声は厳禁というルールを破り、サンジは思わず絶叫していた。 「つか、喉が気持ち悪リイ・・・」 「あああ、当ったり前だ!何のつもりだ!?こんの、クソマリモ!!」 「いや、味は変わるのかと思って・・・」 「はあ?何言ってんだ!?とうとうオカシクなっちまったのか??」 サンジは、当惑したままゾロの頬を軽くピタピタと叩いた。その手を煩そうに払いのけると、ゾロはサンジが持ってきたワインを飲んでまた眉をしかめた。 「だから、体調の変化で味は変わるか確かめたんだよ」 「体調の・・・変化、だぁ?」 ああ、コイツは筋金入りのアホなんだなあと思うのと同時に、何か哀れっぽい感情がサンジの胸を締め付けた。そうか、お馬鹿な子なんだねえと頭を撫でるのと同じようにゾロの頭に手を乗せる。大体、比べるにしたって、以前に飲んだことがなければ比較のしようが無いではないか。 「あ〜〜〜すっげ、吐きそう・・・」 「お前さ・・・ここんトコ、挙動不審すぎるぞ」 挙動不審・・・ゾロは、咽元を押さえながら「それは熱い視線で見つめているから」というロビンの一言を思い出した。それと同時に、「第三者の目は、何よりも正しいものよ」という響きも。 「オレ、そんなに挙動不審か?」 「ああ、やたら人の顔じっと見てたり、視線感じて振り向くとお前オレのこと凝視してるし。高いトコロの物取るだけなのに手ぇ貸したり、オレはレディじゃねえっての。しかも、今日に至っては人の飲みやがるしよ」 気色悪りぃ。更にそう付け加えた。 自分の体にコンプレックスのあるサンジにしたら、ゾロの一連の行動は嫌味としか感じ取れなかった。 「この間のこと蒸し返すわけじゃねえが・・・お前こそ、時々、なんつーか・・・変だぞ。手、包丁で切ったり、やたらコケるし、仕舞いにゃ船から落ちやがる。チョッパーが心配してだぞ。たまには、ちゃんと船医の言うこと聞いたらどうだ?」 お前にだけは言われたくねぇ、言いかけてサンジは口をつぐんだ。それ以外で、反論出来る部分がまるでないことに気付いたからだ。だが、沈黙もまた、認めたということになる。 サンジの考え込む顔を見て、ゾロは一言だけ言った。 「気になるんなら、チョッパーに相談するんだな。俺達の船医なんだ・・・信用してやれよ」 それだけ言うと、ゾロは咽元をひたすら気にしながら、着物をかき集めて出て行った。 いつかとは逆に、倉庫に一人取り残されたサンジは、ゾロが自分の失態を逐一覚えていたことよりも“飲まれた”という精神的ショックが遥かに大きく、そこからしばらく動けず固まった。 ・船医、チョッパー ロビンの意味深な言葉にゾロが揺れ始めてから1ヶ月後、深夜の錨綱格納庫。 それを、確信したのはサンジだった。 今日は波が高い。ざうん、ざうんと波音がうねる度に、船体も合わせてざうん、ざうんと傾いて揺れる。それは早朝から続き、昼を過ぎても、夜がきても、深夜になっても変わらなかった。そして、この格納庫にも例外なく揺れは響いていた。 波の上でセックスするなんてことは日常茶飯事だった。だから、ゾロとサンジの二人はさして気にすることなくコトを進めた。 服を脱ぎ、肌に触れ、然るべき器官が膨張すれば、挿入する。 結局、サンジがゾロを掘る話はお流れになってしまった。だから、今日もゾロは覆いかぶさってサンジを貫き、いいように動いていた。 「あっ・・・ゾロ・・・、乱暴、に動く、なよ・・・!」 「無理だな」 「はっ・・・、俺の、魅力に、イカれちまってる、わけ?」 「ああ。だから、無理」 大根役者だって、こんなには台詞を棒読みしないだろう。サンジはムッとしたまま、ゾロに躯を預けていた。 「ヤバイ・・・出そう・・・」 「我慢しろ、後が痛ぇぞ?」 「うるせ・・・っうん!?」 それは、突然、サンジの身を襲った。 まるで、手足を封じられたまま海中に落とされたようだった。 息が、息が出来ない! 「サンジ・・・?おい、どうした、サンジ!」 呼ばれても、サンジは返事が出来なかった。咽元を手で覆うが、何の意味も無かった。咽は、空気を求めるのに、肺がそれを拒否しているみたいに、呼吸が出来ない。どんどん視界も霞んでいく。 「ひゅ・・・う、ぁ、ぐ・・・がはっ!」 その咽から、ただならぬ音が出ていた。生体が、生きていく上で奏でてはならない類の音だ。 呼吸が出来ていないのか!? ゾロは血走った目でどうにか状況を把握した。サンジはかっと目を見開いたまま、激しく躯を痙攣させていた。素人目に見ても、状態が危険なことは一目で分かった。 「ちょっと待ってろ!チョッパーを呼んで来る!!」 ゾロは素早く自身を引き抜くと、着物に目もくれないで走っていった。波のせいで甲板が揺れてうまく足を蹴り上げることが出来ない。この一蹴りが、何秒にも感じる。地獄の様なスローモーションを経て、ようやく男部屋に辿り着くと、チョッパー愛用のアタッシュケースと熟睡中のチョッパーを小脇に抱えて戻っていった。起こしている間も惜しかった。 「な、なんだ!?ゾロ?ゾロ!なになになになに!?」 パニック真っ只中の船医が、ゾロの裸の次に見たものは、同じ様に裸で、激しく咽元を掻き毟り、床を転げまわるサンジの姿だった。 「何がどうしたんだ!?」 チョッパーがパニックも収まらず聞くと、ゾロは「息ができねえんだ!」と叫ぶように言った。 「とりあえず、呼吸を整えさせないと!」 側に寄って、今や赤黒く染まったサンジの顔を覗き込むと、チョッパーの顔色がさっと変わった。 「ゾロ!そこの紙袋取ってくれ!」 「お?おう!」 言われるまま渡すと、船医はやおらその紙袋をサンジの頭にスッポリと被せた。 「お、おい!?それじゃサンジは余計息が出来なくなるじゃねえか!!」 「いいんだ!ゾロ、足を押さえて!固定出来ない!」 言われるまま押さえると、激しくバタついていた躯が徐々に、ゆっくりと静まっていった。そして、力が抜けてぐったりすると、ピクリとも動かなくなった。 「・・・死んだのか?」 ゾロが、弛緩したサンジの足を持ったまま震えた声でそう言った。 「違うよ、ゾロ。気を失っただけだ。俺を呼んでくれてよかった・・・ヘタに人工呼吸なんかしてたら、危なかったかもしれない」 「どういうことだ??だって、今、お前・・・」 「これは、息が吸えなくなったんじゃなくて、簡単に言うと、息が吐けなくなったんだ。過呼吸症候群ってやつだよ。だから、自分の息をもう一度吸わせるんだ。そうすれば、自然に収まる。だから、なるべく気密性の高いもの…今は紙袋しか無かったからこれ使ったけど、そんなのを被せるといいんだ」 「そんなことがあるのか・・・」 ゾロは茫然と呟いた。とりあえず大事には至らなかったらしい、それだけは理解できた。 「見分けるのが難しいんだけど・・・逆に、人工呼吸なんかしちゃうと、もっとひどくなるんだ。とりあえず、間に合って良かった・・・」 ほっとしたように、チョッパーは尻餅をついた。汗が玉になって床に落ちる。 「一体、どうしたんだろうな、サンジは。過呼吸症候群なんて・・・滅多になるもんじゃないのに・・・」 そこで言葉を切ると、俯いて恥ずかしげに言った。 「その・・・ゾロは、サンジと・・・で、サンジはこうなったのか?」 男が、二人、深夜の密室で、裸でやることなんて大方決まっている。チョッパーは、どうしたものか分からずモジモジしながらも、医者としての使命感が彼にそう言わせた。状況が分からなければ、対策の立てようもない。 「お、おう」 ゾロも、どう言っていいか分からず、ボソボソと状況を説明した。 聞きながら、船医はサンジの瞳孔や脈を調べ、あっという間にカルテをおこした。 「詳しいことは、サンジが起きてから聞くことにしよう・・・何か前兆みたいなものがあったはずだ。ここにいると、体が冷えるし、服を着させて、早くソファに移してあげた方がいいよ。・・・ゾロも、服を着た方がいいよ」 そう言われてようやく全裸だったことに気付き、ゾロは慌てて衣服を身に付けた。 音を立てないようにそっと、ソファにサンジの体を横たえる。タオルケットを掛け、滲み出る汗を拭いてやると、二人ともどっと息を吐いた。 「俺が、朝まで様子を見るよ。何かあったら呼ぶから、ゾロは見張りを続けて」 そう、今日はゾロが見張り番だったのだ。それにも関わらず、見張りもせずにサンジとセックスしていたことに、多少非難を交えた声音でチョッパーはそう言った。ゾロは「ああ」とだけ返事をした。だが、それでも動けず、しばらく立ったままだった。 「でも・・・二人は、そんな関係だったんだな」 チョッパーの何とも感情の読み取りづらい複雑な表情に、ゾロはバツ悪そうに苦く笑った。 翌朝、サンジは酷くうなされて飛び起きた。苦しい、息が出来ないと繰り返して。 チョッパーが泣き顔で覗き込んでくるので、何事かと思った。滔々と昨日の出来事を話されると、サンジもゾロと同じようにバツ悪そうに苦笑いを浮かべた。 「何か、このところ体調に変化は無かったのか?頭痛とか、吐き気とか」 「ん・・・貧血をよく起こしてた、かな。でも、疲れてるだけだよ」 「他には?他は、何かないの?なんでも、いいから」 「大丈夫だよ、チョッパー。お前は、ちょっと心配性過ぎるよ」 サンジが、チョッパーの頬を優しく撫でると、船医は怒ったような表情になった。誤魔化すな、そう言いたいのだ。サンジは両手を挙げて降参、のポーズを取った。 「たまに・・・ごくたまに、味が分からなくなる時がある。自分で思い描いた味と、実際の味にズレがあるっていうのかな・・・」 震える声でそう言った。それがどんなに残酷な響きを持っているかよく分かっているチョッパーは、一瞬沈痛な面持ちになった。自分だって、手が痺れて使い物にならなくなったら、恐ろしくって震え上がってしまうと思う。 「あとは・・・ああ、そうだ、ゾロが感度が鈍いとか言ってたことがあったな。関係あるかはわかんねえけどな」 自嘲気味に笑うと、無表情になって続けた。 「ごめんな、チョッパー。驚いただろ?」 サンジが倒れたことに、ではなく、ゾロとサンジの関係に、である。言わなくても、船医には伝わったようで、チョッパーはひずめでカリカリと頭を掻いた。 「オレ、驚いたけど・・・。オレさ、誰かを好きになったことって、まだないんだ。もちろん、この船のみんなは大好きだよ、でも、きっとそういう感情と違うんだろ?ゾロとサンジは。ドクトリーヌが言ってた、『人は肌を合わせる必要のある生き物だ』って。オレ、まだそういうのよく分かんないけど、でも、頑張るよ。理解、出来るように」 「そうか」 単純にサンジは嬉しかった。医者とはいえ、かなりショッキングな事態だったはずだ。でも、チョッパーは冷静に対処して、全力を尽くしてくれた。軽蔑されても仕方ないとは思っていたが、理解する努力もしてくれるという。『好き』という言葉はちょっと違うな、と思ったが、訂正せずにありがたくお言葉を頂戴することにした。 「あとは・・・それくらいだよ。もう朝食の時間だ、行っていいか?」 もちろん、船医の答えはノーだ。 「念の為、コレ飲め。それと、煙草はしばらく禁止だからな」 水の入ったコップと、真っ黒い丸薬を渡され、代わりに煙草を取り上げられた。 そして、もうちょっと寝てろ、と告げると、小さいながらも手厳しい船医は出て行った。 仕方なく一気に飲み干すと、震える肩を押さえつけるように布団にうずくまる。 震えは、いつまでも止まることが無かった。 ・サンジ サンジが倒れてから3週間後。永久を思わせる航海、ゴーイングメリー号の船上。 その日、クルーは驚愕の事実を知ることになる。 「サンジ・・・これ、どうしたんだよ」 ウソップが大鍋を目の前に、お玉を持ったままわなわなと震えている。サンジは、椅子に座ってジッと床を見つめていた。その目は、まるで死んだ魚だ。 「サンジ、おいサンジ、お前らしくねえよ、なあ、どうしたんだ?」 ウソップは泣き顔になってサンジの肩を揺すった。サンジはされるがままガクガクと揺さぶられる。まるで体中の筋肉が弛緩したように、手足はダラリとしていた。 「サンジ・・・なぁ、サンジ!」 ウソップはまだ夜も明けきらぬうちにサンジに叩き起こされた。頼む、今すぐキッチンに来てくれと言われて。訳も分からぬまま、小皿に注がれたスープを渡され、今度は飲めと言われた。何で、今更オレが味見なんか・・・そう思いながら、それを一口飲んでウソップは固まった。 異常に、塩っ辛かったからである。 「うげっ、なんだよ、コレ。間違えて海水でも入れたのか?」 その瞬間、サンジの瞳からさっと色が消えた。 まさか。 そう思い、ウソップはお玉を使い大鍋から直にスープを飲んでみた。でもやっぱり、塩の味しかしない。 「・・・味が・・・分からないんだ・・・。何、飲んでも・・・何も感じなくて・・・試しに、砂糖も塩も舐めてみた。けど、みんな、砂を・・・砂を、噛んでるみたいなんだ・・・」 今度は、壊れた機械の様にサンジはカタカタと震えだした。そのただならぬ様子に、ウソップは慌ててチョッパーを呼びに走った。頼む、夢であってくれ、と。夢でないなら、せめて一過性のものであってくれと。ウソップは、泣き面になりながら、揺れる船体を蹴り上げて走っった。 「サンジ、これ、痛いか?」 「ん・・・普通に、痛い」 「じゃあ、ここは?」 「・・・あんまり痛くねえな」 「・・・そうか」 「どうなんだ?チョッパー。サンジ、ちょっと疲れてるだけなんだろう?」 ウソップがそう問うと、サンジの手からピンセットを離して、船医は難しい顔をした。 「うん・・・今、調べてる。でも、サンジ、大丈夫だからな!俺、万能薬なんだから!薬草、擂ってくるから、ちょっと待ってろ!」 船医はそういうと、ウソップに手伝ってくれと言ってキッチンを後にした。そして、男部屋に入った途端、チョッパーは泣き顔になった。 「どうしよう、ウソップ。俺、俺・・・」 「チョッパー・・・もしかして、サンジ、前から調子が悪かったのか?」 「うん、呼吸困難になったり、包丁が、うまく、握れなくなったり、目が、見えにくくなったり・・・してたんだ、でも、サンジ、誰にも言うなって・・・疲れてるだけだから、みんなに心配かけたくないから、誰にも言うなって・・・でも、俺、心配で、それで、いろいろ調べたんだ。でも、どんな症例にも合わないんだ。でも、今日、ハッキリと分かった。有り得ないって思ってたけど・・・でも、どうしよう、ウソップ・・・。俺、言えないよ!」 船医は泣き叫ぶように言った。その大声に、ゾロと、ルフィが場にそぐわぬ顔つきで、むにゃ、と起きた。 「何だぁ?チョッパー。な〜に騒いでんだ?」 ルフィが、のん気にそう聞いた。チョッパーは、何かが壊れてしまったように言葉を吐き出していた。 「ルフィ・・・!サンジ、病気なんだ!今まで、誰も治ったことのない、病気なんだ!俺、どうしたらいいのか分かんないよ・・・!」 「おい、今、何て言った?」 ゾロが、血走った目でそう言った。船医はシャクリを上げて、応えない。 「チョッパー・・・どういうことだ?」 キャプテン以下、男たち3人は、真剣な目つきで船医を見つめた。 原因不明の奇病で、症例報告数が極めて少なく、完治の例は報告されていない。 脳内で、細胞自らが放電し、それによって脳は電気様刺激を受けて、体の各所に一時的な麻痺が起こる。 回数は徐々に頻繁に、且つ麻痺の箇所も次第に増大していく。 最後は脊髄や延髄など、生命の活動の拠点を支える根幹部分が麻痺若しくは破壊され、死に至る。 これが細菌由来なのか、遺伝的あるいは後形質由来であるかは定かではない。原因が分からない為、治療方も確立されていない。唯一分かっているのは、伝染性のものでは無いということだけ。脳細胞の連結を決壊させることもあり、麻痺の仕方によっては、痴呆、言語障害、発狂、内臓機能停止等、二次的な病気を併発し、悲惨な死を迎える場合もあるという。 医学に長けていない男たちは、早口に捲くし立てるチョッパーの言う医学的な説明はほとんど分からなかった。だが、辛うじて、「死に至る重大な病にサンジが冒されている」ことだけは分かった。 「なんだよ、それ・・・チョッパー、治るんだろ?なあ、治るよな?」 ウソップは震える声でそう言った。船医は俯いたまま答えなかった。ただ、歯をくいしばって立ちすくんでいた。 「治るよな?」 ルフィは、明るい声でそう言った。中身の無い、薄っぺらな明るい声で。 それでも、船医は何も応えなかった。みんなの顔を見るのが辛いというように顔を背けただけだった。 「治るだろう!?サンジは、サンジは、オールブルーを見つけ出す男なんだ!こんなトコロでくたばるヤツじゃないんだ!」 ルフィは絶叫していた。 「サンジは、オールブルーを見つける男なんだ!!」 その時、キッチンでナミの悲鳴が響き渡った。 男たちが、慌ててキッチンへ向かい見たものは、サンジが、腕から血を流して倒れている姿だった。 ・キャプテン 「どう?サンジくん、落ち着いた?」 ナミが、真っ青な顔で聞いた。 「うん、暴れてたけど、鎮静剤打ったから大人しくなったよ・・・でも、起きたときどうなるかわかんないよ・・・起きたら、また暴れるかもしれない」 「そう・・」 狭い男部屋にクルー全員が集まり、簡易ベットに横たわるサンジに視線を集中させていた。サンジが、血塗れになってなお暴れるのを押さえつけたため、男たちは皆一様に血で赤黒く染まっていた。 「一体、どうしちゃったの!?サンジくんが、自分を切りつけるなんて・・・!」 「・・・やっぱり、コックさんは、何か、病に冒されていたの?」 ロビンが、沈痛な面持ちで聞いた。チョッパーが、簡単に事情を説明すると、「やっぱり無理にでも問い詰めるべきだった」と痛々しく呟いた。 「どうする?キャプテン。コイツは、起きたらきっと、船を降りると言い出すぜ。死にに行くために、船を降りるんだ」 ゾロが、怒りを抑えきれない表情でそう言った。ずっと、予感めいた物が自分に纏わり付いていたのに、どうして追求しなかったのか、そればかりが津波の様にゾロを責め立てた。 それは、誰もが同じだった。 誰もが、何かしら小さな変化を感じ取っていながら、埋没していた日常からその事を拾い出すことが出来なかった。出来ていたら、今頃違っていただろうなんていう想像はもう無意味だ。 船長の目は真っ直ぐだった。真っ直ぐ、サンジを見据えて言った。 「サンジが、船を降りるって言い出したら、どうするかって?そんなの、決まってんだろ」 少年の様に、笑って。 ゾロが予想した通りだった。 サンジが再び目を覚ました時、幸い、暴れることは無かったが、覚悟を決めた船医から全てを聞くと、悟った様な顔つきになって、言った。 「船を降りる。皆の足手まといにはなりたくねえし、今、俺の存在は無意味だ」 その表情は硬く、触れれば凍てついてしまいそうな程だった。 「ダメだ、サンジ。医者を探しに行くのか?ここに、最高の医者がいるだろ。どこ探し回ったってチョッパー以上の医者なんていやしねえよ。それに、どうやって探す気だ?メリー号で、探した方が早いに決まってるだろ。だから、船を降りる方が無意味だ。そうだろ?サンジ」 ルフィは、努めて明るくそう言った。本当は泣き出してしまいそうだったが、サンジは自分の何倍も泣き出したいのだと思うと涙も引っ込んだ。 「別に、医者を探しに行くわけじゃねえ。・・・足枷をわざわざ嵌める奴が、どこにいる?船長、冷静な判断をしてくれ。俺は、もうこの船にいちゃいけない人間だ、分かるだろう?」 今度はサンジが必死だった。これ以上、自分の惨めな姿を晒したくないというのもあった。豹が、もう帰ることが出来ないと分かっていて、雪深い死地に立とうとする様な・・・それと同じ心境が、今の自分を埋めていた。 「許さねえぞ、サンジ」 ルフィは、抑揚を抑えた低い声でそう言った。 「俺は、お前が欲しくてお前を誘った。半端な気持ちで誘ったわけじゃねえ。キャプテン命令だ、船を降りることは許さねえ」 「ふざけんな。俺は自分の意思で乗ったんだ。その俺が降りるって言ってんだ。俺は意思を持つことも許されねえのかよ!」 「お前は、俺たちの仲間だ! サンジ!生きろ! 生きて生きて、生きぬくんだ! 何で死ぬって決め付けるんだ? 俺たちで、見つければいいだろ? サンジが生き抜く方法を、見つければいいんだ! サンジ!生きろ! お前は、生きることの出来る男だ!」 ルフィの声は、船内に真っ直ぐに響いた。それは例外なく、クルー達の胸にも奥深く響いていた。 「サンジ。オールブルーを、見つけよう」 そう言って、船長は手を差し伸べる。 「分かってる、分かってるんだ・・・でも、今の俺には・・・応えることは、出来ない・・・」 その日サンジは、船長から差し出された手を、とうとう、最後まで受け取ることはしなかった。 ・ジジィ サンジが絶望の淵に追いやられて1週間後。新たな航路を見つけ出したゴーイングメリー号は、サンジの異変と戦う日々が続いていた。 ルフィとサンジの話し合いは、相変わらず平行線のままになっていた。ルフィは降りるな、サンジは今すぐ降りるという。だが、海の真ん中で降りられるはずもないだろう、それにこの辺にある島はみんな無人島だと言ってなんとかなだめすかされて、サンジはしぶしぶ船に残っていた。 「本当に死ぬ気だったら、サンジくんは今頃海の藻屑になってるわよ。大丈夫、まだあのコは望みを捨てちゃいないわ」 ナミのその言葉が、ルフィを支えた。 だが、次第に事態は、チョッパーの恐れていた通りになっていった。 サンジは、チョッパーからいつものブドウ糖の注射を受ける為腕を捲くると、突然、猛然と暴れて抵抗し出したのだ。 「なにするんだよ!?俺に何する気だ!!」 「サンジ?落ち着いて、サンジに必要な注射を打つだけだよ。大丈夫だから」 「なんだよそれ!俺には必要ねえ!畜生、なんだってんだ!」 ゾロが慌てて止めに入ったが、返ってサンジを興奮させただけだった。 「サンジ、落ち着け!チョッパーは、お前の体が心配なだけだ!」 「離せぇえええぇぇえ!!ちくしょう!いてえ!ちくしょう!畜生!!」 「サンジ!落ち着いて!大丈夫だから!」 思わず、船医も冷静さを欠くほど、サンジの暴れっぷりは常軌を逸していた。 「何すんだよ!何でだよ!舌が・・・俺の!それで、何にも、何にも感じねえんだ!痛くもねえんだよ!畜生!頭が割れる!」 もうサンジがまともでないのは明白だった。言語中枢かどこかに、興奮させるような刺激信号が出ているのだろうか。出鱈目で矛盾だらけの怒声は、止む事が無かった。 そして、船医が鎮静剤を追加する為開けたアタッシュケースから、サンジはサッとトンビが餌をかすめる様にメスを取ると、止める間も無く咽元に付き立てた。 「馬鹿野郎!何考えてやがる!!」 ゾロが、間一髪その手を叩き落とすと、サンジはこれ以上ない位に目を見開いて、憎しみに燃えた目でゾロを見た。その目は、ゾロが今まで見たことも無い、他人を見る目そのものだった。 「テメエ!!なにしやがんだ!!」 「それは俺のセリフだ!」 「畜生、ちくしょう、チクショウ!俺は、今、死にたいんだよ!!」 「テメエ、ゼフのオヤジさんのことを忘れたのか!?」 「――――――っ!!」 見開かれた瞳は、すぐに涙が溢れてみるみる歪んでいった。 ぜ、ふ・・・・・・ゼフ?・・・くそじじい・・・バラティエ・・・ 霧が晴れたように、サンジの顔に正気が戻って行った。 「・・・オール、ブルー・・・!!」 「そうだ、サンジ、思い出せ!お前は、何がしたくてこの船に乗った?思い出せ!」 「ぞろ?・・・ゾロ!」 まだ虚ろに濡れる目は、自我の崩壊と戦うように揺れていた。それでも、己の意識を保とうとする気迫がそれを押し退けて、サンジは言葉を必死に繋げた。 「おれ・・・俺、オールブルー、が、見たい・・・!!」 「やっと、本音が出たな」 そうして、ゾロは、久しぶりに笑顔を見せた。 |
→第四章 |